歌曲『セレナーデ』シューベルトの悲しみが美しい音楽をつくる:歌のレッスン

音楽 ちいさな感動 おおきな感動

上の写真は、ケマンソウという植物です。
ハートから涙がこぼれ落ちているように見えませんか。

シューベルト作曲のドイツ歌曲『セレナーデ』は、
切ない恋心を悲しく歌いあげるメロディーが、
聴く人の心まで搔き乱します。

歌曲王と呼ばれるシューベルトが作曲した、
およそ600曲の歌曲の中で最も有名な曲のうちのひとつです。

当音楽教室の声楽クラスでも、もちろんレッスンしています。

歌曲『セレナーデ』は、
リストによるピアノソロ編曲も有名です。
また、初級、中級の生徒さんに合わせた難易度の編曲版も、
一般的に使われているテキストにありますので、
ピアノクラスの生徒さんも、レッスンを受ける機会が多いでしょう。

【セレナーデ】とは、日本語で【夜曲・小夜曲】と言います。

元々は、【夜に、恋人の家の窓の下などで演奏する愛の歌】のことで、
後に、歌曲・器楽曲に発展しました。

恋人への愛の歌が、なぜ、こんなにも悲しいメロディーなのでしょうか?

この曲が作曲された背景や内容を学び、
より表現豊かに演奏するために活かしましょう。
      
       

🎼歌曲『セレナーデ』解説

🎹歌曲集『白鳥の歌』

シューベルト作曲の歌曲『セレナーデ』は、
歌曲集『白鳥の歌』(1829年出版)全14曲中の第4曲目の歌です。

この歌曲集は、
シューベルトが亡くなった後に、友人たちがまとめた遺作歌曲集です。
       

🎹歌曲『セレナーデ』歌詞:日本語訳

ドイツ原語の作詞者は、
ルートヴィヒ・レルシュタープ(ドイツ 1799-1860 詩人・音楽評論家)です。
※長くなるので原語詩は省略します。
ドイツ語の歌詞の和訳を読んでみましょう。

▼『セレナーデ』日本語訳

僕の歌が優しく願うよ
夜の間 君に
静かな森へ下りてきて
愛しい人よ 僕の所へ来ておくれ!

ささやくような枝のざわめき
月の光の中で
誰かが隠れて盗み聞きしても
恐れないで かわいい人よ

ナイチンゲールが鳴いているね
ああ!彼らも君に訴えかける
甘い嘆きの歌で
君を想う僕のために

ナイチンゲールはわかっている
この胸の想いを 愛の痛みを
彼らの銀色の声は
すべての優しい心を動かすよ

君も心を動かして

愛しい人よ 聞いてほしい!
震えながら 僕は君を待っているんだ!
来ておくれ! 僕を幸せにしておくれ
!     

  

🎹歌曲『セレナーデ』:曲調の特徴

特徴①ニ短調

調子(キー)には、それぞれの特徴があります。

ニ短調の特徴は、
歌劇や宗教曲では、恐れや怒りを表す場面で多く用いられています。
また、敬虔・厳粛なイメージから、冥土や死を連想させるとも言われます。

シューベルトの『セレナーデ』は、
曲の始まりから聞かせどころの部分に至るまで、
胸が締めつけられるような悲しいメロディーが響きます。

心が暗く沈んで、泣いているかのように聞こえてきます。

シューベルトの【恋人に向けて演奏する愛の歌】は、
愛の喜びや幸せな気持ちを歌うのではなく、
愛する人が振り向いてくれないことへの悲痛な思いを、
切々と歌う【愛の歌】なのです。


この鎮痛とした胸が張り裂けるようなメロディーを聴くと、
【恋人に向けて】の悲痛な思いだけではない、
シューベルトの心の中にはいつも、
拭い去れない暗く深い悲しみが、あるように感じます。

特徴②ピアノ伴奏の重要度が高い

シューベルト作曲以前の歌曲では、
歌の伴奏にすぎなかったピアノのパートで、
歌のパートと対等に、詩の内容を表現しています。
それにより、詩の内容表現が格段に優れた歌曲となりました。
      
          

🎼シューベルトについて:歌曲『セレナーデ』の作曲者

フランツ・ペーターシューベルト(1797-1828 オーストリア)
古典派後期〜ロマン派前期。
歌曲、ピアノ曲、交響曲、室内楽に多くの名曲を残しました。

恋人への愛の詩を、
悲痛感を漂わせながらも、美しく心に響くメロディーにのせて、
世界的に広く知られる名曲に作り上げた作曲家、
シューベルトについて確認していきましょう。
              

🎹【歌曲王】と呼ばれるシューベルト

シューベルトは、31歳の短い生涯の中で、
およそ1000もの曲を作り上げました。

その中でも、ドイツ歌曲の作品は、600曲に及び、
クラシック音楽史上、重要な意義を果たしています。

シューベルトの歌曲の重要な意義とは

詩に、美しいメロディー、豊かな響きの和声、繊細な感情表現の音楽を融合することで、
もとの詩の内容が、より一層深く表現されるようになったことです。

一言で表すと、

詩と音楽の融合

歌は【歌曲】として芸術作品に高められたのです。

この功績により、シューベルトは【歌曲王】とよばれています。

1814年(17歳) 作曲 の『糸を紡ぐグレートヒェン』で
芸術作品としての【ドイツ歌曲】が確立した、と言われています。

以後、『野ばら』『魔王』『アヴェマリア』『ます』など
クラシック音楽界だけではなく、一般的にも広く知られている数多くの名作を残しました。
        

🎹《愛は悲しみ 悲しみは愛》

泣いているような悲しいメロディーの【愛の歌
シューベルトの『セレナーデ』。

《愛を歌うと悲しみになり、悲しみを歌うと愛になった》

これは、シューベルトが25歳で書いた散文「私の夢」の中の言葉です。

《ぼくは悲しい音楽しか知らない》

とも言っています。

】から連想される音楽が【悲しみ】しかないとすると、
どんなにつらいことでしょうか。
なぜ、シューベルトの心は、悲しみに暗く沈んでしまっていたのでしょうか?
            

🎹シューベルトの生い立ち

シューベルトの【悲しみ】のわけは、その生い立ちにあります。

母は、シューベルトが15歳の時に亡くなっています。

父は厳格な教育者で、
シューベルトが音楽の道に進むのを反対、
自分と同じく教師になるよう望んでいました。

若くして音楽の才能に秀でていたシューベルトは、
音楽活動に熱意を傾けるあまり、学校の勉強がおろそかになったため、
父は、音楽活動を禁止します。
それでも作曲をやめられないシューベルトに、
「音楽をやめて勉強に専念するか、音楽の道を選んでこの家を出ていくか。」
と言い放ち、追い詰めます。

1815年(18歳)、
一旦は、父の望み通りに教師となったシューベルトでしたが、
この時期から猛スピードで作曲活動をしています。
『野ばら』『魔王』が誕生したのは、この年です。

その後も、シューベルトの作曲への熱意は消えず、
1818年(21歳)、作曲家になることを決意し、教師をやめて家を出ました。
        

🎹【シューベルティアーゼ】~シューベルト応援団~

シューベルトは内向的な性格で、野心もなく、
自分の才能に謙虚でした。
作品を自ら売り込むことに消極的で、
生涯、金銭的には恵まれませんでした。

ですが、
温厚で優しい人格のシューベルトは人に好かれ、
経済的支援を申し出てくれる人がたくさんいました。

父の元をとび出して住む家のないシューベルトに、
11年間に16宅もの友人が部屋に住まわせてくれ、
食事や楽譜など必要なものを与えてくれました。

やがてその支援は、
裕福な友人の邸宅の大広間で開催される
シューベルトの作品発表会に発展しました。
音楽家たちは、シューベルトの歌曲を歌い、
ピアノソナタや幻想曲を演奏して作品を披露し、シューベルトを称えました。

このシューベルトの応援団とも言うべき集まりは、
【シューベルティアーゼ】と呼ばれ、

1820年(23歳)から10年ほど続けられたようです。

【シューベルティアーゼ】
応援してくれる多くの友人たちに囲まれ、
およそ1000曲もの作品を世に送り出すことが出来たのですから、
充実した幸せな作家人生を送ったように思われます。

ですが、シューベルトは、
親切で温和な友人たちに、優しくされればされる程、
孤独を感じていたのです。
      
           

🎼愛を求めてさまよう魂

大勢の仲間に支えられつつも、
心の拠りどころがない深い孤独を抱えていたシューベルト。

その深い孤独は、多くの作品となって、私たちに訴えかけています。
ここから、シューベルトの作品をご紹介しながら、
その【悲しみ】に触れていきます。

🎹歌曲『魔王』(1815年 18歳作曲)

詩:ゲーテ

▼詩の内容

夜の嵐の中、
高熱を出した息子を抱いた父が、馬を飛ばして医者のもとへと急いでいる。
そこへ現れた魔王が子どもをさらおうとする。
子どもは必死に、
父に、魔王がいると訴えるが、父には何も見えず何も聞こえない。
やっと医者の家に着いた時には、子どもは父の腕の中で息絶えていた。

子どもがいくら訴えても、
【父親】には【魔王】の存在がわからず、子どもが死んでしまうという内容は、
まさに、シューベルトと父との関係を表しています。
音楽の道に進みたいシューベルトの思いを理解してくれない父。
父に受け入れてもらえず、苦悩するシューベルト。

この詩を本で知り、
強いインスピレーションを感じて興奮状態だったシューベルトは、
何と、4時間ほどで歌曲に作り上げたそうです。
※友人ヨーゼフ・フォン・シュバウエンによる
        

🎹歌曲『さすらい人』(1816 年 19歳作曲)

詩:ゲオルク・フィリップ・シュミット・フォン・リューベック

▼詩の内容

男が、自分が安らげる地を求めて、
ため息をつきながらさまよい歩く。
しかし、「それはお前のいないところにある」と
あの世からの声がきこえる。

当初、楽譜が出版されたときは「不幸な男」という曲名でした。
曲のテーマのメロディーは、
シューベルトが作曲したピアノ曲
さすらい人幻想曲』(『幻想曲 ハ短調』の通称(1822年))にも引用されています。

また、フリードリヒ・シュレーゲルの詩により作曲した、
別の歌曲にも『さすらい人』(1819年)と名付けています。
      

🎹歌曲集『美しき水車小屋の娘』全20曲(1823年 26歳作曲)

詩:ヴィルヘルム・ミラー

▼詩の内容

修行の旅に出た若者が、
弟子入りした水車小屋の娘に恋をしたが失恋し、
川に身を投げて自ら命を絶つ。

歌曲集の最終曲(20曲目)『小川の子守唄』の歌詞を読んでみましょう。
川に身を投げた若者に、どこからか声が聞こえてきます。

安らかに 安らかに 目を閉じて!
旅人よ 疲れた旅人よ 家に帰ったのだよ
ここには誠実があるよ 
私のところにいさせてあげよう
運河小川を飲みつくすまで

この若者の魂の帰る場所は、自ら命を預けた川の中だったのですね。

やっとの思いで見つけた愛がかなわず、
苦悩する若者の心情が、シューベルトと重なります。


この世には、私の帰る場所がない、
心安らぐためには命を絶つしかないのだと。
           

🎹歌曲集『冬の旅』2部構成 全24曲

(第1部 1828年 31歳作曲 第2部 1828年、死後に出版された)

詩:ヴィルヘルム・ミラー

▼詩の内容

失恋し、故郷を捨てた若者が、
幸せを求めてひたすらさまよっている。
しかし、希望ではなく、嘆きとあきらめの心情に満ちている。

さまよううちに若者は、
幸せではなく【死】を求めるようになる。

「死はなんと遠いのだろう。」と嘆き、
せっかく見つけた故郷へ続く道ではなく、墓場へと向かう。
安らかに眠る死者と出会い、自分も死を願うが、
死ぬことができないのでさまよい続ける。

この若者は、【死】で心の安らぎを得ようとしています。

シューベルトは、この詩の若者が、自分と同じ死生観であることから、
深く感銘を受け、作曲したと言われています。

シューベルトが詩に音楽を融合したことで、
この若者の心情が、より暗く、より絶望的な印象の作品となりました。

この歌曲集『冬の旅』 全24曲の中で、
一般的にも良く知られている名曲『菩提樹』は、
絶望的な曲が並ぶ中にある、数少ない長調の曲で、第5曲目に演奏されます。

▼『菩提樹』詩の内容

さまよいながら、菩提樹の前に来た。
かつては、この木陰で甘い思い出にひたっていたが、
今は、枝が不気味にざわついて耳から離れない。

幸せを求めて続ける旅の行く末に、若者の不安が漂う詩です。
菩提樹』の、静かでゆったり美しい長調のメロディーの中にも、
繊細ではかない余韻が残ります。

そして、この歌曲集『冬の旅』を書き上げた年に、
シューベルトは31歳の若さで亡くなります。

『冬の旅』で旅していた若者は、
シューベルト自身に他ならなかったのです。

     
      

🎼悲しみもまた美しい

🎹《悲しい=美しい》を確立したシューベルト

《ぼくはこの世でいちばん不幸でみじめな人間のような気がする。》
《この人生を、この私を殺せ。》

思わず胸を突かれるこれらの言葉は、
シューベルトが日記に書いた言葉です。

シューベルトは、自らが抱える孤独や苦悩、葛藤を、曲の創作にぶつけ、
次から次へと1000曲もの曲にして、
自身の魂の救済を願いました。

自身の《悲しい愛》の心情を《美しい音楽》に浄化し続けたシューベルトは、

《悲しい=美しい》を確立した作曲家

と言えるのではないでしょうか。

シューベルトの音楽が、
クラシック史上の価値ある名曲として後世まで歌い継がれ、感動を与えるのは、

【人の弱さ、はかなさ】という負の側面を、
シューベルト独自の【優しい品のあるメロディーにのせ、美しく表現した】

ことで、聴く人々に共感をもたらしているからではないでしょうか。

聴いた人の心も清らかに、
魂が救われたような敬虔な心地になるのです。
     
       

🎼シューベルトの魂は救われたのでしょうか

孤独と悲しみを抱え、
愛を求めて、ひたすらに曲を作り続けた
シューベルトの魂は救われたのでしょうか。

歌曲集『冬の旅』全24曲の最終曲『辻音楽師』を見てみましょう。

▼『辻音楽師』詩の内容

幸せを求めてさすらい続けた若者は、
行きついた先で、
ひとりの老いた辻音楽師(路上演奏家)に出会う。

辻音楽師の奏でる音楽を誰も聴いていない。
けれども彼は、音楽を奏で続ける。

自分と同じく孤独な世界に生きる老人が、
【生】からも【死】からも見放されたように映ります。


なぜなら、
辻音楽師は、誰も聴いてくれないために収入もなく、
収入がなければとても生きてはいけないのに、
それでも死なずに演奏家として音楽を奏でているからです。

若者は【生きること】も【死ぬことも】できない
自分と同じ境遇の老人と出会ったことに、嬉しさを感じるのです。

そして、

「老人よ、お前についていこうか?
僕の歌に合わせて演奏してくれるかい?」

と問いかける場面で曲が終わります。

さて、皆さんは、
シューベルトの魂は、救われたと思いますか?

     
      

🎼悲しくも美しい愛の歌 シューベルト『セレナーデ』を歌いましょう!

孤独を抱えたシューベルトが、
愛を求めて作曲した悲しくも美しい歌曲『セレナーデ』を、
当音楽教室で、ご一緒に歌いませんか。

シューベルトの歌曲を歌い、聴く、
多くの人々からのシューベルトへの敬愛を受けて、
シューベルトの魂は今きっと、
孤独や悲しみから解放されていることを願いながら。



歌曲『セレナーデ』シューベルト作曲
テノール / フリッツ・ウンダーリヒ

              
リストによるピアノソロ編曲も、是非、お聴きください。

リストによるピアノソロ編曲版 シューベルト『セレナーデ』
エフゲニー・キーシン

               

🎼~音楽資料紹介~

🎹初版楽譜:シューベルト作曲『2つの性格的行進曲』(ピアノ連弾曲)

シューベルトについての貴重な資料がありますので、ご紹介させていただきます。

初版楽譜
「2つの性格的行進曲」ハ長調 Op121(ピアノ連弾曲)

出版:1829年 ウィーン・ディアベリ音楽出版社

表紙

第1番 “トリオ”(中間部)のページ

梅谷音楽学院~展示資料より~

                    

♫ 初版楽譜の重要性

この資料は、
シューベルトの死の翌年、1829年にディアベリ社から出版された初版楽譜です。 

初版楽譜は、通常、出版されるまでに、【作曲者による校正】というプロセスが入るため、
作曲者の意図が最も忠実に反映されている楽譜、という点で、
とても貴重であり、重要な資料です。
         
特に、『2つの性格的行進曲』は、
現在では自筆譜が失われているため、
作曲年代は不詳で、作曲の意図を特定することも難しいとされ、
初版楽譜の重要性は、さらに大きいと言えます。        

♫『2つの性格的行進曲』(ピアノ連弾曲)の曲調

2曲で構成されています。

第1番、第2番ともに
8分の6拍子(行進曲では異例。通常は4分の2拍子。)
ハ長調、中間部イ短調。
Allegro vivace(アレグロ ビヴァーチェ:快活に速く)

第1番
軽快なリズムに明るいメロディーのフレーズが少しづつ音をずらしながら前進していく。

第2番
躍動感にあふれるメロディーが、広がり、深みを増しながら、
さらに前進を続けていく。

♫ シューベルトにとっての連弾曲とは

シューベルトは、31年の短い生涯の間に、
30曲以上ものピアノ連弾曲を残しています。

19世紀当時、一般市民の家庭にもピアノが普及し、
自宅で気軽に楽しめるエンターテインメントとして、
ピアノ連弾曲は、とても人気がありました。

出版社からの強い依頼により、数多くの連弾曲を作曲したシューベルト。

友人たちから、生活や作曲活動の資金援助を受けていたシューベルトにとって、
貴重な収入源となりました。

また、貴重な収入源としてだけではなく、
自身が作曲した連弾曲を、
友人たちと息を合わせてピアノで奏でることが、
【心に悲しみを抱え続けたシューベルトにとっての喜び】だったからこそ、
数多くの連弾曲が生み出されました。

《悲しい=美しい》を確立した作曲家シューベルトの
喜びから生まれた『2つの性格的行進曲』。

是非、お聴きください。

シューベルト作曲
『2つの性格的行進曲』より第1番
エフゲニー・キーシン&ジェームズ・レヴァイン
          

今回のコラムにお付き合いいただき、
ありがとうございました。
次回のコラム『ちいさな感動おおきな感動』も
よろしくお願いいたします。

梅谷音楽学院 講師 IKUKO KUBO (^^♪

大阪府吹田市千里丘の音楽教室です。 幼児(3歳)からシニアの方まで、随時ご入会を受け付けています。 現在、個人レッスンによる「ピアノ」「声楽」「チェロ」「ソルフェージュ(視唱、聴音、楽典など)」の4科目を開講しており、初心者、経験者、趣味で楽しみたい方、また音楽大学・音楽高校を目指したい方など様々な生徒さんが在籍されています。 ご一緒に音楽を楽しみませんか。
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