『夢路より(夢見る人)』フォスター自身の苦しみを天上へ昇華した曲:歌のレッスン

音楽 ちいさな感動 おおきな感動

《アメリカ音楽の父》と称されるフォスター作曲の
歌曲『夢路より』『夢見る人』と表記されることも多い)は、

まるで天上から降ってきたような
美しく心地良く流れるメロディーが心を満たし、至福な気持ちが広がる名曲です。

当音楽教室の、声楽クラスでもレッスンしています。

皆さんも、幾度も耳にしたことがあるでしょう。
誰もが、その美しいメロディーに、一瞬のうちに惹き込まれます。

『夢路より(夢見る人)』は、
1864年(37歳)の作品で、
フォスターが亡くなる数日前に書かれ、
フォスターの死後、発表された遺作です。

フォスターは、数多くのヒット曲を出しながら、経済的に困窮し、
『夢路より』の美しいメロディーからは、
想像もできないすさんだ生活を送り、苦しんでいました。

それは、なぜなのでしょうか?

『夢路より』が作曲された背景を知ることで、
歌の表現が、より深められるようにしていきましょう。
         

🎼『夢路より(夢見る人)』作曲者フォスターについて

スティーブン・フォスター(1826-1864年 アメリカ)

アメリカ独立からちょうど50周年記念の年の1826年、
しかも記念日である7月4日に生まれました。

19世紀のアメリカを代表する歌曲作曲家で、

世界中で広く愛される数多くの名作を残しています。
日本でも馴染み深いフォスターの歌曲は、
シンプルで親しみやすいうえに、完成度が高いと評価されています。

黒人歌・農園歌・旅愁歌を多く作曲し、
アメリカ西部開拓時代の人々の心を癒す曲として親しまれ、
現代に至るまで長く歌い継がれてきました。
  

🎹フォスターの名作と主な出来事

フォスターは、アカデミックな音楽教育を受けませんでしたが、
独学で、ギター、クラリネット、フルートを習得し、やがて作曲に興味を持ち、
主に、モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバーの作品研究に熱心に取り組み、
18歳の時、初めての歌曲を作曲しました。

フォスター作曲の多くの名作の中でも、最も有名な曲のいくつかを、
生涯の主な出来事とともにあげてみます。

1844(18歳)
初めての歌曲作曲「窓を開け、恋人よ」

1848(22歳)
「おおスザンナ」作曲
1848~1849、カリフォルニアのゴールドラッシュ賛歌として大ヒット。

1850(24歳)  
結婚し家庭を持つ。

1851(25歳)
長女が生まれる。
音楽的に円熟した時期。傑作を次々に生み出す。
「故郷の人々」
「ケンタッキーの我が家」
「主人は冷たい土の中に」  
「金髪のジェニー」
など

1855(28歳)
両親が亡くなり、続いて翌年、 兄が亡くなる。
生活がすさんで作曲活動にかげりが出始め、困窮した日々に陥る。

1860(33歳)
「オールド・ブラック・ジョー」作曲。
再起をかけるものの、
アルコール依存症から抜け出せないまま、借金がかさんでいく。

翌年から始まった南北戦争が、社会に影を落とす。

1864(37歳)
『夢路より(夢見る人)』作曲。

数日後、転倒による事故で亡くなる。

幼少の頃から音楽的才能を発揮し、
並々ならぬ情熱を持って、
独学で作曲家になったフォスターは、
数々の曲を大ヒットさせて、世の人々の心に潤いを与えました。

当時の楽曲は、
白人向けに作曲されるのが一般的でしたが、
フォスターは、黒人奴隷の苦しみに共感し、
白人作曲家として初めて、黒人に寄り添う音楽を作曲し、発表しました。

やがて、時代の移り変わりや、
フォスターを取り巻く状況によって、
経済的にも精神的にも苦境に陥ってしまうのです。
      

🎼著作権がなかった時代の作曲家

フォスターは、
数多くのヒット曲を出しながら、
なぜ、生活に困窮したのでしょうか。

生涯でおよそ300曲もの歌曲を作曲し、
そのうちの200曲ほどが出版されたので、
今の時代であれば、
年間、数億円の収入が得られただろう、と言われています。

ですが、
フォスターが作曲家として身を立てようとしたこの時代は、
作曲家に対する権利が保障されていませんでした。

いわゆる著作権法が存在しなかったのです。

曲がヒットすればするほど得ることができる
印税もなければ、
他の人が演奏する時などに得られる
演奏権保護もなかったのです。

出版社との契約料も十分な額とは言えず、
中には、出版されている楽譜を、フォスターと契約することなく、
勝手にコピーをして販売するような出版業者もあったのです。

「おおスザンナ」は、
3年間で16社もの出版社が30種以上の楽譜を出版しています。

最高発行部数が5000部という時代に、
10万部という桁違いの大ヒットとなったのにもかかわらず、
フォスターの収入は、わずか100ドルだったと言われています。

このように、
作曲家が、まだまだ地位を確立できないでいる時代でしたが、
フォスターは何とか身を立てようと模索しました。

ですが、徐々に創作意欲を失い、
肉親の相次ぐ不幸でさらにダメージを受け、
立ち直ることが難しくなっていきました。
         

🎼遺作となった『夢路より(夢見る人)』

『夢路より(夢見る人)』は、
1864年(37歳)の作品で、
フォスターが亡くなる数日前に書かれた、と言われています。

フォスターが亡くなったのは、転倒による事故でした。

この頃は、長く続く貧困生活から抜け出せず、
妻子とも別居状態で、安宿で、お酒をあおる生活が続いていました。

そんなある日、
めまいを起こし転倒、(発熱があったとも、酔っていたとも言われています。)
洗面台に強く頭をぶつけ、大量に出血し、病院に運ばれたものの、3日後に亡くなりました。
まだ37歳の若さでした。

『夢路より(夢見る人)』は、
フォスターの死後、発表されましたが、
思いもよらず、遺作となってしまいました。

作曲された背景を知ったうえで『夢路より(夢見る人)』を聴いてみると、
フォスターには、
自分の死の予感めいたものがあったのではないか、と思えてくるのです。

そのように感じるのはなぜなのか、
曲について詳しく読み解いていきます。
         

🎼『夢路より(夢見る人)』日本語訳・意味

『夢路より(夢見る人)』の、歌詞の意味を確認していきましょう。
※英語の原題は『Beautiful Dreamer』です。
原詩は長くなるので、ここでは省略します。

1番
美しき夢見る人よ
私のために目覚めておくれ
星の光と露のしずくが
あなたを待っているよ

俗世の喧騒は
月の光に優しく照らされ
すべては過ぎ去ったのだ

美しき夢見る人よ
私の歌の女王よ
あなたへの愛の調べを
聴いておくれ

わずらわしい浮世の苦悩も
消え去るだろう
美しき夢見る人よ
私のために目覚めておくれ

美しき夢見る人よ
私のために目覚めておくれ


2番
美しき夢見る人よ
海原に出よう
人魚たちが口ずさむ
ローレライの歌

小川の上に
かすみが立ち込め
朝の日差しに
消え行くのを待とう

美しき夢見る人よ
私の心の希望の光よ
朝の小川や海でも

悲しみの雲は消え去るだろう
美しき夢見る人よ
私のために目覚めておくれ

美しき夢見る人よ
私のために目覚めておくれ

          

🎼歌詞から読み取る:《美しき夢見る人》に希望の光を託した歌

歌詞から何が読み取れるか、考えてみましょう。

「美しき夢見る人よ
私の心の希望の光よ」


『夢路より(夢見る人)』は、
幼少のころから音楽の才能にあふれ、
若くして円熟した歌曲を作曲し、
意気揚々と曲作りに励んでいたフォスターが、

気が付けば人生の坂道を転げ落ちて、
その日の暮らしにも困るようになってしまったことへの絶望の淵から、

ほんのわずかな「心の希望の光」を
「美しき夢見る人」に託した曲なのです。

        

「星の光と露のしずくが
あなたを待っているよ」

「月の光に優しく照らされ」

フォスターは、あくまで光を見ています。

       

「俗世の喧騒はすべては過ぎ去ったのだ」

「わずらわしい浮世の苦悩」も
「悲しみの雲」も

「消え去るだろう」

自身の苦しみはすべてなくなり、
再び明るい光に照らされることを信じたのです。

        

🎼『夢路より(夢見る人)』の曲調

次に、曲調を確認していきましょう。

♫ 曲の調子(キー)

♭(フラット)が3つ付く変ホ長調。
変ホ長調の性格は、
明るい輝き・柔らかな包容力のイメージを持ちます。

♫ 拍子(リズム)

9/8(8分の9拍子)
8分音符3つのまとまりを1拍として、それが1小節に3つあります。
つまり、
1小節の中に、小さい3拍子のまとまりが、大きく3回表れます。

3拍子の特徴は、リラックス効果です。
小さい3拍子のまとまりが、
さらに大きく3拍子で繰り返されることで、
リラックス効果がより高まります。

♫ 歌のメロディー

ピアノ鍵盤上の真ん中のミ♭(フラット)より
1オクターブ高いミ♭(フラット)から始まります。
※ソプラノの場合

歌い出しの音としては、かなり高い音から、
3拍子の軽やかなリズムにのって、
なめらかに音階を下るメロディーは、
まるで天上から音が降ってきたかのようです。

ほぼ同じメロディーが繰り返された後、
続いて、
音が上へ下へと軽やかに跳躍しながらの流暢なメロディーは、
夢の中にいるような心地良さです。

天上から音が降ってきたかのような始めのメロディーに戻った後は、

最後の1フレーズで、
真ん中のミ♭(フラット)まで
ゆったりとなめらかに音階を下りてきて歌が終わり、

続く短いピアノ後奏 は、
少し跳躍して、軽快さと明るさを余韻として残しています。

♫ 強弱記号

注目すべき点は、音の強弱記号が、

歌の最後の1フレーズだけ mf (やや強く)、
あとはすべて p(弱く)か mp (やや弱く)が指定されている
ことです。

mf (やや強く)で歌う最後の1フレーズは、
たったの 2 小節しかありません。

再び明るい光に照らされることを信じたのならば、
 mf (やや強く)を多く指定すれば、
再起にかける意志の強さやエネルギーが感じられる曲になります。

ですが、
残りの大部分が p(弱く)か mp (やや弱く)であるため、
曲全体が、やんわりとした穏やかな印象になっています。
     

これら(調子・拍子・メロディー・強弱記号)の特徴を合わせ、
曲全体を通して、
明るく、流暢で軽やかなイメージの曲調になっています。 

     
 

🎼曲調から読み取る:フォスター自身の苦しみを昇華し天上へ

曲調から考えて、フォスターの心境を深堀りしてみましょう。

フォスターは、確かに、明るい光を見ていました。ですが、

その光はもはや夢の中、
もしくは天上の世界で見ているかのような感覚だったのではないでしょうか。

『夢路より(夢見る人)』の曲調は、
長く生活に困窮し、アルコール依存症に苦しんでいる、
悲惨な状況のフォスターからは全くかけ離れています。

まさに別世界、天上の音楽のような
美しさと明るさと、優しさと穏やかさで心に深く響きます。

作曲している間、
フォスターの意識は、
現実の世界になかったのかもしれません。
天上にあったのです。

そのように考えると、
フォスターには、自分の死の予感めいたものがあったのかもしれない、
と思えてくるのです。

(実際は事故で、偶然なのですが)

ただ、
最後の1 フレーズだけは、意識が現実に戻ったかのようです。

「美しき夢見る人よ
私のために目覚めておくれ」
と、 mf (やや強く)で求めています。

現実のフォスターは、
苦しみから抜け出したいと強く願いながらも、
その解決策も見出せないまま、
事故で亡くなってしまいました。

『夢路より(夢見る人)』を作曲することで、
再び明るい光に照らされることを信じたフォスター。

夢の中、
もしくは天上の世界のような音楽は、
フォスター自身の苦しみを昇華するために、生まれたのかもしれません。

自ら生み出したメロディーに癒され、
優しい光に包まれていた、と信じたいですね。

フォスター作曲『夢路より(夢見る人)』
歌 / マリリン・ホーン

    

🎼フォスターメモリアルデーの制定

数多くの名曲を作り、
人々の心を癒したフォスターは、
その功績に見合った喜びや幸せを得られないままなくなりました。

ですが、
フォスターの曲は、深く愛され続けています。

1966年アメリカで、
【スティーブン・フォスター メモリアルデー】が制定されました。
命日の1/13を記念日とし、毎年、
フォスターを追悼し称えるための日となりました。
     

🎼《美しき夢見る人》を目覚めさせましょう!

不遇だった《アメリカ音楽の父》
フォスターの天上のメロディーを、ご一緒に心地良く歌って、
《美しき夢見る人》を目覚めさせましょう!

歌う人も聴く人も癒される至福の時を過ごしませんか。


今回のコラムにもお付き合いいただき、
ありがとうございました。
次回のコラム『ちいさな感動おおきな感動』も
よろしくお願いします。

梅谷音楽学院 講師 IKUKO KUBO (^^♪

大阪府吹田市千里丘の音楽教室です。 幼児(3歳)からシニアの方まで、随時ご入会を受け付けています。 現在、個人レッスンによる「ピアノ」「声楽」「チェロ」「ソルフェージュ(視唱、聴音、楽典など)」の4科目を開講しており、初心者、経験者、趣味で楽しみたい方、また音楽大学・音楽高校を目指したい方など様々な生徒さんが在籍されています。 ご一緒に音楽を楽しみませんか。
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