『君を愛す Ich liebe dich( 優しき愛 )』は、
ベートーヴェン作曲のドイツ歌曲です。
ベートーヴェンの歌曲の中では最も有名で、
世界中の人々に愛唱されています。
歌曲である原曲をもとに、
合唱版やピアノソロ版、ヴァイオリン、チェロなどの弦楽アンサンブル版など、
数多くの編曲楽譜が出版されています。
いかに広く親しまれている作品であるかが、わかりますね。
また、
高校の音楽教材に採用され、長年、教科書に掲載されていたことから、
クラシック音楽に馴染みのない人でも、
聴いたり歌ったりしたことがあるのではないでしょうか。
音楽の教科書には、多くは、
歌詞のドイツ語原詩の題名『優しき愛』で掲載されているようです。
『君を愛す( 優しき愛 )』のメロディは、
〖 苦悩の人〗と呼ばれるベートーヴェンのイメージとは対照的に、
幸福感と明るい希望に満ちており、
聴く人の心にも、穏やかな充足感が沁みとおります。
優しい愛と純真さにあふれた名歌曲、
『君を愛す( 優しき愛 )』を作曲した頃、
ベートーヴェン自身が【 幸せの絶頂期 】にいたのです。
ベートーヴェンにとっての 【幸せの絶頂期 】とは、
どのような時期だったのでしょうか。
ベートーヴェンがこの歌曲に込めた想いとは、
どのようなものだったのでしょうか。
『君を愛す( 優しき愛 )』が作曲された背景や内容を学び、
歌唱の表現に活かしましょう。
🎼声楽曲も数多く作曲したベートーヴェン
ベートーヴェンの作品といえば、
壮大で革新的な楽曲構成の交響曲、
『英雄』『運命』『田園』『第九(合唱)』や、
劇的でダイナミック、深い精神性を表現するピアノソナタ、
『悲愴』『月光』『熱情』、
激情的で重厚なヴァイオリンソナタ『クロイツェル』など、
人々の心に強烈な印象と深い感銘を与える、
エネルギッシュな大作の数々が思い浮かびます。
これらのベートーヴェンの作品を聴いて、
クラシックに興味を持ったという人も多いでしょう。
比べて〖 歌曲 〗は、
歌唱とピアノ伴奏による小規模な作品のため、
ベートーヴェンのダイナミックな作品群の中では、
注目される機会は多くないかもしれませんが、
実は、
ベートーヴェンは、声楽曲も数多く作曲しています。
〖 ドイツ歌曲 〗は80曲以上、
〖 オペラ、ミサ曲、オラトリオ、カンタータ 〗などを含めると、
300曲以上にもなると言われています。
🎼ベートーヴェンの歌曲は【ドイツ語の声楽歌曲(ドイツリート)】の基盤
ベートーヴェンの歌曲は、
【ドイツ語の声楽歌曲(ドイツリート)】の基盤を築いた
と、されています。
後の、ロマン派に確立された高度な芸術作品、
【ドイツ語の声楽歌曲(ドイツリート)】の代表的な作曲家、
シューベルトやシューマンに大きな影響を与えました。
ベートーヴェンの歌曲は、
形式的な構成に基づいて作曲された、
クラシック音楽古典派の特徴である【形式美】
を備えつつ、
文学的価値の高い詩の中で表現されている、
【個人の内面的な感情や精神性、物語性】を重視
して作曲されたことで、
ロマン派音楽への流れを創り出したのです。
▼【ドイツ語の声楽歌曲(ドイツリート)】とは
《 ドイツ語の詩に曲を付け、
詩の内容を歌で深く表現することで、
詩と音楽が融合し、
より一層、高度な芸術作品に高められた歌曲 》のこと。
19世紀のクラシック音楽ロマン派時代に全盛期を迎え、
ロマン派文学の著名な詩人、
ゲーテ、シラー、ハイネなどの文学性の高い詩に感化され、
多くの作曲家が曲を付けました。
▼【ドイツ語の声楽歌曲(ドイツリート)】の代表的な作曲家
シューベルト、シューマン、ブラームス
🎼『君を愛す( 優しき愛 )』が作曲された時期は
🎹ベートーヴェン「前期」の作品
ベートーヴェンの作品は、作風などにより、
一般的に「前期」「中期」「後期」の3期に分けられています。
『君を愛す( 優しき愛 )』は、
1795年(25歳)に作曲され、1803年に出版された「前期」作品です。
▼ベートーヴェン「前期」
〜1801年(31歳)頃まで。
(故郷ボン時代〜ウィーンへ渡った後、難聴の症状が出るまでとされています。)
ハイドン、モーツァルトの古典的な楽曲スタイルを維持しながら、
徐々に、ベートーヴェンが独自に拡大、発展させた、
革新的で感情的な音楽を創作し始めます。
🎹作曲家としての名声が高まる「前期」
1792年(22歳)、
ハイドンに才能を認められ、故郷ドイツのボンから、
音楽家たちの活躍の場であったオーストリアのウィーンへと渡りました。
1796年(26歳)、
ウィーンで活動を始めて4年、
ベートーヴェンの作曲家としての名声が高まり、
プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンと、
6か月にも及ぶ演奏旅行を行いました。
いよいよ音楽家として認められ、
ベートーヴェンは、明るい希望と喜びに沸き立っていました。
この時期に作曲された歌曲『君を愛す( 優しき愛 )』には、
ベートーヴェンの明るく幸せな心情が、
ストレートに表現されています。
清々しいほど純真に、愛を表現したベートーヴェン。
実は、
このベートーヴェンのこの喜びは、
〖音楽家としての喜び〗だけではありませんでした。
ここで、
ベートーヴェンがウィーンへ渡るまでの人生を、
簡単にたどっていきましょう。
🎹難聴だけではないベートーヴェンの苦悩
ベートーヴェンは、
27〜28歳の頃から耳の不調を感じ始めています。
作曲家として認められ、
これから創作に本腰を入れようとしていた頃、
ウィーンへ出てきてから、わずか5年ほどのことでした。
耳がどんどん悪化していく中で絶望したベートーヴェンが、
1802年(32歳)、
『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたためたことは、有名です。
※記事の終わりに資料あり。
その後、作曲家として、生涯苦悩の人生を送ったわけですが、
ベートーヴェンの苦悩の人生は、
既に、幼少の頃から始まっていたのでした。
🎹ベートーヴェン幼少期からの苦悩:父ヨハンのスパルタ教育
ベートーヴェンは、1770年、ドイツのボンで、
祖父、父ともに、
宮廷楽団の音楽家という音楽一家に生まれました。
父ヨハンは、息子ルートヴィヒの才能に気付き、
幼少(4歳)のころから、厳しいスパルタ教育を行いました。
それは、
単に厳しいレッスンにとどまらず、
うまく弾けなければ食事を与えない、
部屋に鍵をかけて閉じ込める、などの過酷なものでした。
それに耐え、見事に才能を開花させたベートーヴェンは、
7歳で演奏会デビュー、11歳で自作作品の出版、
【第2のモーツァルト】として、高く評価されました。
ですが、
ベートーヴェンの本当の苦悩は、ここから始まるのでした。
🎹ベートーヴェン少年期も続く苦悩:13歳から一家の家計を支えた
幼くしてデビューを果たしたベートーヴェンですが、
父ヨハンが息子ルートヴィヒを厳しく教育したのは、
息子の将来のためではありませんでした。
ルートヴィヒを【神童:第2のモーツァルト】として売り出し、
多くの報酬を得るためだったのです。
立派な音楽家であった祖父とは違い、
父ヨハン・ヴァン・ベートーヴェン
(1739-1792年)は、
宮廷のテノール歌手だったものの、特別な才能はありませんでした。
ベートーヴェンが3歳の時に祖父が亡くなった後、
父ヨハンは、
祖父の宮廷楽団長の役職を引き継ぐことを認められませんでした。
この頃から、
父ヨハンはアルコール依存症となり、
まともな収入が得られなくなっていきました。
そのため、
13歳で宮廷楽団のオルガニストとなったベートーヴェンが、
音楽教師やヴィオラ奏者なども兼任しながら、
母、二人の弟たち家族を、
父の代わりに支えていかなければなりませんでした。
▼ベートーヴェンの祖父
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(1712-1773年 ベルギー出身、後ボンに移住)
宮廷楽長を務めた優れたバス歌手・音楽家で、
名声と高い地位を確立。
誠実な人柄で、人々の尊敬を集めた人格者でした。
ベートーヴェンは、
その名を受け継がせてくれた祖父を、深く敬愛していました。
🎹ベートーヴェンさらに青年期の苦悩:母の死、二人の弟たちの親がわり
1787年(17歳)、
母マリアが病気のため亡くなりました。
父ヨハンは、うつ病も発症し、
アルコール依存症はますます悪化していきました。
生活は困窮し、
ベートーヴェンは、一家の大黒柱として家計を支えながら、
まだ手のかかる4つ下と6つ下の弟たちの世話にも追われたのです。
青年期に至っても、
厳しい家庭環境に置かれ続けたベートーヴェンの苦悩と孤独は、
どれほど大きかったことでしょうか。
その後、
幼少の頃から続いた苦悩の日々は、
故郷ボンを離れて、音楽の都オーストリアのウィーンへ渡ることで、ようやく終わりを迎えます。
🎼ボンからウィーンへ:心身の解放
父ヨハンが働けなくなった頃から、
ベートーヴェンの才能を理解する貴族たちが、経済的支援をし、
それによってベートーヴェンは、
ウィーンへの留学や、
留学後の生活資金、貴族社会への取り次ぎなどが叶えられました。
1792年(22歳)、
ボンから音楽の都ウィーンへ移り住んだベートーヴェンは、
二度と(同じ年に父ヨハンが亡くなった際にも)故郷に戻ることはありませんでした。
父の呪縛から心身ともに解放されたベートーヴェンは、
心置きなく、自身の音楽を追求することが、
できるようになりました。
▼ベートーヴェンの経済的支援者のひとり
フェルディナント・フォン・ワルトシュタイン伯爵
(1762-1823年 ドイツ)
ボン時代に、
物理的にも精神的にも支えになった人物。
早くからベートーヴェンの才能を見抜き、 ウィーンへ送り出しました。
後に、ベートーヴェンは、
ピアノソナタ『ワルトシュタイン』(1803〜4年作曲)を献呈しました。
🎼『君を愛す( 優しき愛 )』は【ベートーヴェンの幸福】の歌
ベートーヴェンの生涯は、
その大半が苦悩との闘いでした。
唯一、
故郷ボンから音楽の都ウィーンへ出てから、難聴の兆候が出始めるまでの、
ほんの短い5年ほどの間だけは、
晴れ晴れとした心持ちで、
研鑽を積み、自身の音楽の創作が出来ました。
音楽家としての名声も広がり、
明るい希望にあふれ、幸福に満ち、生き生きと輝いていたのです。
まさにこの時期は、
ベートーヴェンの【幸せの絶頂期 】でした。
歌曲『君を愛す( 優しき愛 )』は、
この短い【ベートーヴェン幸せの絶頂の5年間】に作曲された歌曲です。
温かみのある優しいメロディーが、
【ベートーヴェンの心いっぱいの幸福】そのものを表しています。
幼いころから続いた苦悩を乗り越えて手にした【幸福】。
ほとばしる喜びと希望があふれ出た名歌曲です。
🎼『君を愛す( 優しき愛 )』:日本語訳詞
『君を愛す( 優しき愛 )』の日本語訳詞を読んでみましょう。
ドイツ語原詩の題名は『Zärtliche liebe(優しき愛)』です。
作詞者は、
カール・フリードリヒ・ヘルロゼーです。
( 1764-1821年 ドイツ 詩人・作家・牧師 )
ヘルロゼーの詩に基づいて、
ベートーヴェンが言葉を選び、曲を付けました。
『優しき愛( Zärtliche liebe)』日本語訳詞
※ここでは原詩は省略します。
僕は君を愛している
そう 君が僕を愛するように
夕べにも朝にも
君と僕が 僕たちの不安や悩みを分かち合わない日は一度もなかった
君と僕は共に分かち合うことで
楽に耐えられた
君は僕の苦しみを慰め
僕は君の嘆きに泣いた
君に神の祝福がありますように
君 僕の生きる喜び
君に神のご加護がありますように 僕のために
僕たちふたりに神のご加護がありますように
🎹 「 Ich liebe dich(君を愛す) 」の深い意味
歌いだしの一文「 Ich liebe dich」のメロディが、
その短いフレーズだけで心に深く響くからでしょう。
そのまま題名として使われ、広く知られるようになりました。
※ベートーヴェン自身は、題名を付けませんでした。
「 Ich liebe dich」とは、
英語の「I iove you」と同じ、
「私はあなたを愛しています。」という意味です。
ベートーヴェンは、この一文に深い意味を込めて作曲しました。
《 愛とは、
好きな人を求める【自分本位の恋愛感情】ではなく、
【相手を思いやる優しさ】である。》
という意味です。
つまりそれは、続く歌詞にあるように、
《人を愛するとは、
【ともに分かち合い、ともに尊重し合い、信頼し合うこと】》
です。
幼少期から辛い家庭環境で苦悩したきたベートーヴェンが、
切実に求めた《 深い人間愛 》、崇高な愛のかたちです。
そして、曲の最後に、
《【相手を思いやる優しさ】を大切に愛し合っている二人を守ってください 》
つまり、
《 人と人が信頼し合う関係がいつまでも続きますように 》
と、神に祈っているのです。
ベートーヴェンに、
穏やかで明るい幸福を感じることができるようになった
【幸せの絶頂期 】が訪れたからこそ、
《 深い人間愛と神への感謝 》
を込めた名曲が生まれたのです。
🎼『君を愛す( 優しき愛 )』曲の特徴&歌い方
次に、
『君を愛す( 優しき愛 )』の曲の特徴を確認し、表現に活かしましょう。
🎹特徴① 調性:ト長調
『君を愛す( 優しき愛 )』の原曲はト長調です。
※ヘ長調、変ホ長調などに移調された楽譜も販売されています。
明るく爽やかなエネルギー
温和な心地良い響きで親しみやすい
純粋な誠実さ
🎹特徴②構成:A-B-A’
曲の構成は、シンプルでわかりやすいA-B-A’。
Bでハ長調(属調)に転調、
A’で主調のト長調にもどる。
曲に明るいエネルギーを与え、生き生きとしたイメージを作る。
構成音が似た調への転調のため、自然に曲を展開できる。
🎹特徴③メロディに音の跳躍が多い
歌いだしてすぐの第2音目(「 Ich liebe dich 」の「 liebe 」)から、
6度の音の跳躍があり、
その後も、7度、5度の跳躍が多く出てきます。
音の跳躍は、メロディに躍動感や高揚感を生み出します。
ベートーヴェンの生き生きとした心の動きそのものがよく表れています。
また、聴き手の心も大きく揺さぶられ、印象に残りやすくなります。
🎹特徴④ Bの最後’にきて初めてf(フォルテ:音を大きく)
音の跳躍で印象的な部分を作りつつも、
A-Bと静かに穏やかに、
幸せをかみしめるような曲調が続きます。
Bの最後に、初めてf(フォルテ:音を大きく)、
続いてA’の部分に入ると、
f(フォルテ:音を大きく)で歌い上げる部分が多くなり、
曲の終わりも、f(フォルテ:音を大きく)で締めくくります。
A-B
幸福感をかみしめるようにして、
愛を歌っていると、
だんだんとその愛や、
神への感謝の気持ちなどがあふれ出してくる様子。
A’
神の愛に守られていること、
明るい希望を描けることで、
力強く曲を閉じています。
曲を通して、
温かく大きな愛と、明るい希望を表現し、
その気持ちが大きくあふれ出してくる様子を言葉にのせて歌いましょう。
テノール / ペーター・シュライアー
🎼『君を愛す( 優しき愛 )』をご一緒に歌いましょう
ベートーヴェンのあまりにも短い【幸せの絶頂期】に作曲された、
ドイツ歌曲の名曲『『君を愛す( 優しき愛 )』を、
当教室でご一緒に歌いませんか。
ベートーヴェンの人生に思いを馳せ、
ベートーヴェンが切実に求めた《 深い人間愛 》を表現し、心豊かな時間を過ごしましょう。
🎼~音楽資料紹介~
🎹ベートーヴェン:「ハイリゲンシュタットの遺書」自筆ファクシミリ版 他
~梅谷音楽学院の展示資料よりご紹介させていただきます~
ベートーヴェンは、
1797~98年(27〜28歳)頃、
音楽の都ウィーンへ出てからわずか5年ほどで、耳の不調を感じ始め、
1802年(31歳)、
耳の療養のため、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットに滞在中に、
二人の弟、カールとヨハン宛てに書いた手紙が、「ハイリゲンシュタットの遺書」です。
遺書には、
すでに回復不可能なまでに深刻な病状だった難聴への絶望、孤独、
自らの命を絶つ覚悟と葛藤、
死を思いとどまらせた芸術への使命感が書かれています。
資料①「ハイリゲンシュタットの遺書」自筆ファクシミリ版

右下にベートーヴェンの自筆サインと日付(1802/10/06)が記されています。
こちらのファクシミリ版は、
音楽之友社から1967年に出版された、
書籍『ハイリゲンシュタットの遺書』に付属しています。
▼ファクシミリ版とは
歴史的価値を持つ自筆譜や初版楽譜などを、
正確・忠実に複写・複製して再現し、出版された版。
資料②書籍『ハイリゲンシュタットの遺書』音楽の友社 1967年出版
こちらの書籍は、
グスターフ・ヴァール
(1877-1947年 ドイツの著名な司書 )による詳細な解説を、
属 啓成
(さっか けいせい 1902-1994年 日本の音楽学者 )が翻訳し、出版されました。
※現在は絶版となっています。

梅谷音楽学院代表が、直接、本人よりサインいただいたもの(1968年)。
▼属 啓成
(さっか けいせい 1902-1994年 生まれ朝鮮、 後に日本 )
日本のクラシック音楽学の発展に、多大な貢献を果たした音楽学者・音楽評論家。
特に、ベートーヴェン研究、モーツァルト研究の第一人者であり、
生涯にわたり、ベートーヴェンの研究・執筆・翻訳を行い、
重要な文献を多数残しました。
資料③遺書を記したハイリゲンシュタットの住居

今回のコラムにお付き合いいただきありがとうございました。
次回のコラム『ちいさな感動おおきな感動』も
よろしくお願いいたします。
梅谷音楽学院 講師 IKUKO KUBO (^^♪

