『ブラームスの子守歌』は、
世界中で親しまれているドイツ歌曲で、
愛に満ちた優しいメロディーが、
幼い子供を穏やかに眠りに誘う曲です。
また子どもに限らず大人も、
この曲を聴くと、心が落ち着き癒されます。
美しく優しさあふれるメロディーは、
【子守歌】としてだけではなく、
CMやチャイムなど、色々な場面で使われているので、
皆さんも、幾度となく耳にしているでしょう。
当音楽教室の大人の声楽科クラスでも、レッスンしています。
優しいメロディーが心地良く眠りに誘ってくれる『ブラームスの子守歌』には、
ブラームスの作曲観に基づく重要な特徴があります。
ブラームスは、どんな考えをもとに、作品を作り出していたのでしょうか?
この曲が作曲された背景や内容を学ぶことで、
より理解を深めて、歌の表現に活かしていきましょう。
🎼【 世界三大『子守歌』 】のひとつ
ドイツ歌曲『ブラームスの子守歌』は、
後期ロマン派を代表する作曲家、
ヨハネス・ブラームス(1835-1897 ドイツ)が、
友人に子どもが生まれたことを祝福して作曲しました。
【 世界三大子守歌】と呼ばれている名曲のうちの一曲です。
▼【世界三大子守歌】とは
ブラームスの子守歌
シューベルトの子守歌
モーツァルト(フリース)の子守歌
※「モーツァルトの子守歌」の作曲者は、モーツァルトではなく、
ベルンハルト・フリース(1770-1851 ドイツ)であったことが判明しています。
現在では、『フリースの子守歌』と呼ばれることも多くなっています。
🎼【子守歌】は民謡として歌われた
【子守歌】は、古来から民謡として歌われていました。
▼民謡とは
民衆の中から自然に生まれ、伝えられてきた歌謡。
特定の地域・民族の、
日々の生活・労働・儀礼や、風土、慣習を反映しているため、
地域性が強く、それぞれに独特な歌詞、メロディー、リズムで表現されている。
【子守歌】は、子どもをあやしたり、
寝かしつけたりするために、自然的に発生した歌です。
それぞれの国・地域・民族の文化の違いにより、
その地方特有の表現法で歌い継がれてきました。
ですから、世界には、
多種多様の伝統的な民謡としての【子守歌】が、数多く存在しています。
親と子の数と同じだけの【子守歌】が存在していても、不思議ではありません。
子どもの安らかな眠りと健やかな健康を願う愛情が、
声として出た歌(節)は、全て【子守歌】と言えるからです。
これらの伝統的な民謡【子守歌】をもとにして、
クラシック音楽に取り入れ、音楽的に発展させた作品が、歌曲や器楽曲の『子守歌』です。
🎼歌曲『ブラームスの子守歌』歌詞
🎹ドイツ語の原語詩について
第1節の歌詞は、
『少年の魔法の角笛』というドイツの民謡の詩集から、
第2節の歌詞は、
『ゲオルグ・シェラーの民謡集』から引用されました。
▼『少年の魔法の角笛』とは
ドイツの文化遺産。
1806-1808に出版されたドイツの民謡の詩集(全3巻)で、
600編の民謡の詩が集められています。
※ここでは、ドイツ語の原語詩は、省略します。
🎹日本語の歌詞&意味
いくつかある日本語の歌詞のうち、一般的に広く知られている
堀内敬三(1897(明治30)-1983(昭和58))の訳詞によるものを読み、
現代語の意味も合わせて確認しましょう。
日本語の歌詞は、
原詩の「神様」「天使」など
西洋の宗教的な言葉の神聖なイメージを残しつつ、
日本語独特の柔らかな響きに包み込まれるような歌詞です。
🎼歌曲『ブラームスの子守歌』の特徴・解説
特徴① 繰り返し: 低い音 → 高い音 → 低い音
歌、ピアノ伴奏の右手部分、左手部分それぞれ全ての音が、
低い音からポーンと高い音へ跳躍し、
また低い音へストンと落ちる、を繰り返します。
この音の運びは、ゆりかごが揺れているイメージですね。
そしてさらに、
ピアノ伴奏の右手部分は、音の跳躍に加えて、
シンコペーションのリズムで奏でることによって、
揺れている感じを強調しています。
このシンコペーションのリズムによるメロディーは、
【レントラー】と呼ばれる、
ゆるやかな3/4拍子の南ドイツの民族舞踊の曲から引用されました。
▼【レントラー】とは
ワルツまたはウインナーワルツと同じ系列。
ゆるやかな3/4拍子の南ドイツの民族舞踊。
ベートーヴェン、シューベルトも、作曲しました。
ブルックナー、ワーグナーは交響曲の中で、【レントラー】を用いています。
特徴② 繰り返し:同じ音、同じ間隔で
ピアノ伴奏の左手部分は、
曲の始まりから終わりまで一貫して、
曲に使われている最も低い音を、
同じ音、同じ間隔で繰り返します。
1小節ごとに、1拍目の低音から跳躍して、
次の小節1拍目に同じ低音に戻る、
の繰り返しです。
この繰り返しによって、
曲全体が安定し、常に落ち着いた印象を保つことが出来ます。
これが安心感となり、深い眠りへと導いてくれるのです。
特徴③ ブラームスの作曲観
では、次から、
ブラームスがどんな考えをもとに、作品を作り出していたのかを学んでいきます。
🎼作曲者ブラームスについて解説
肖像画:ヨハネス・ブラームス(1833-1897 ドイツ)
ヨハネス・ブラームス(1833-1897 ドイツ)は、
クラシック音楽の後期ロマン派を代表する作曲家です。
交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲など、様々なジャンルで傑作を残しました。
声楽作品では歌曲、重唱曲、合唱曲を合わせて300曲以上作曲し、
民謡の編曲を100曲以上、手がけました。
🎹《 ドイツ三大B 》のひとり
ブラームスは、
J.S.バッハ、ベートーヴェンと並んで、
クラシック音楽のドイツを代表する偉大な作曲家のひとりとして、
それぞれの名前の頭文字をとって、
《 ドイツ三大B 》と呼ばれています。
偉大な作曲家《 ドイツ三大B 》には、
ドイツのみならず、西洋クラシック音楽の歴史上、重要な意味があります。
🎼ブラームスが偉大なわけ
🎹① 古典とロマンの融合
ブラームスは、ベートーヴェンを心の師として崇拝し、
後継者としての意識を強く持っていました。
※ブラームスが生まれる前に、既にベートーヴェンは亡くなっていました。
そのため、
ロマン派時代(1820~1920頃)の作曲家でありながら、
ベートーヴェンが活躍した古典派時代(1750~1820頃)の作曲形式美を重んじ、
その中にロマン派の情緒豊かな表現を融合させた曲を作りました。
古典的【形式美】+ロマン的【豊かな感情表現】の融合
バロック・古典派の厳格な作曲技法に基づいて作曲したことで、
ロマン派的激しい情熱を内に秘めながらも、気品を失わず、
さらに、これらをもとに、
より緻密で複雑な構造からなる作品を作り上げました。
🎹② その上にドイツ民謡をも融合
それだけではありません。
ドイツ民謡にも精通していたブラームスは、
クラシック音楽に、ドイツ民謡の伝統を取り入れ発展させました。
古典的【形式美】+ロマン的【豊かな感情表現】+民謡
それぞれの時代が持つ異なる特徴を融合したことで、
いくつもの層がある音楽を築き上げました。
⇩
ブラームスが、
クラシック音楽を、より深く厚く発展させ、《クラシック音楽の完成形を作った》
と言われています。
🎼民謡は音楽の根源
ブラームスが、
民謡を研究し、積極的に作曲に取り入れたのは、なぜでしょうか?
ブラームスは、
《 民謡の中に音楽の最も根源的なものが宿っている 》
という考えを持っていました。
⇩
やがて言葉や節に、
メロディー・歌詞が付いて歌になったものが、民謡です。
ブラームスは、
《 音楽の最も根源的である民謡 》は、《 人間の精神の基盤 》である
と考え、他の作曲家に先駆けて、
クラシック音楽に精力的に取り入れました。
それにより、クラシック音楽が発展したという点で、
クラシック音楽史上、重要な作曲家です。
🎹ドイツ各地の民謡を収集、研究したブラームス
ブラームスは、
ドイツ各地の民謡を収集、研究し、
独唱・重唱曲「子どもの民謡集」(1857年)
「ドイツ民謡集」(1858年)という形で集成しました。
これは、国民的偉業と言われています。
『49のドイツ民謡集』(1893-94年)は、
民謡に伴奏と和声を付け、クラシック音楽へと発展させた歌曲集です。
また、声楽曲のみならず、器楽曲でも多くの主題(テーマ)の中に、
民謡を用いて曲を作っています。
ブラームスの曲は、
緻密で複雑な構造だと言われているにもかかわらず、
親しみやすいのは、
民謡のテーマやメロディーを
多く用いているからではないでしょうか。
🎹ジプシー音楽『ハンガリー舞曲集』の大ヒット
ブラームスは、
ハンガリーの民族音楽(ロマ音楽・ジプシー音楽とも言われる)と出会い、
『ハンガリー舞曲集』(1869年)を編曲しました。
※ハンガリー舞曲のメロディーを元にして、曲に取り入れているので、
ブラームス自身が、【作曲】ではなく、【編曲】としました。
ハンガリー舞曲のメロディーを、
初めてクラシック音楽に取り入れた舞曲集です。
21曲中、第5番が特に有名で、皆さんも、聴いたことがあるでしょう。
『ハンガリー舞曲集』は、編曲当初から、大いに人気を集めました。
当時、他国から独立を果たしたハンガリーの民族意識の高まりが、
ブラームスが暮らすドイツにも広がっていたからです。
それが人気を押し上げることになりました。
🎼ブラームスから国民楽派へ
🎹社会状況による民族意識の高まり
ブラームスが作り上げた
古典的【形式美】+ロマン的【豊かな感情表現】+民謡
は、必然的に、
【国民楽派(19世紀中ごろ~20世紀にかけて)】と呼ばれる作曲家へと、
引き継がれていくことになります。
この時代は、世界各地、特にヨーロッパで、
独立運動や革命が頻繁に起こっていました。
他民族に対抗し、自身が属する民族を守るため、
自然に民謡・民族音楽への意識が高まったのです。
特定の地域・民族から生まれた民謡・民族音楽は、
それに属する民族の文化遺産そのものです。
国民楽派の作曲家たちは、
自国の文化である民謡・民族音楽をクラシック音楽に取り入れ、
世界中に響かせることで、自国愛を訴えかけました。
それによって、
イタリア・ドイツ・オーストリア中心に発展してきたクラシック音楽は、
ヨーロッパ各地で劇的に発展していくのです。
▼国民楽派(19世紀半ば~20世紀にかけて)とは
民謡・民族音楽に基づいて、
作品に民族の歴史や自然を題材とした独自性を盛り込み、
愛国心あふれる国民的音楽を作った作曲家のこと。
▼国民楽派の代表的な作曲家
ボロディン(ロシア 1833-1887)
ムソルグスキー(ロシア 1839-1881)
スメタナ(チェコ 1824-1884)
ドボルザーク(チェコ 1841-1904)
グリーク(ノルウェー 1843-1907)
シベリウス(フィンランド 1865-1957)
🎼ブラームスが神に祈った歌『ブラームスの子守歌』を歌いましょう!
民謡として歌い継がれてきた【子守歌】。
【子どもの安らかな眠り】
言いかえれば【子どもの健やかな成長を願う親の気持ち】には、
《 音楽の最も根源的なもの 》=《 人間の精神の基盤 》
が宿っていると考えたブラームス。
歌曲『ブラームスの子守歌』は、
【子どもの健やかな成長を願う気持ち】から出る声を、
神へ届けるために作られた祈りの歌なのです。
ゆるやかな3/4拍子の南ドイツの民族舞踊
【レントラー】のメロディーを感じながら、
当教室で、ご一緒に歌ってみませんか。
🎼~音楽資料紹介~
🎹ブラームスの自筆書簡
ブラームスについての貴重な資料がありますので、ご紹介させていただきます。
ブラームスの自筆書簡
1896年夏、避暑地バート・イシュル(オーストリア)において
女性の友人宛に、郵便物を頼んで面倒をかけたことへのお礼状
梅谷音楽学院 所蔵 ~展示資料より~
ブラームスは、ウィーンを拠点として(1862年~)作曲・演奏活動をしていましたが、
毎年のように、夏は、避暑地に滞在して、
静かな環境の中で、美しい景色を眺めながら、
心身をリフレッシュさせていました。
7箇所あった滞在地の中で、最もお気に入りが、
この書簡を書いたバート・イシュル(オーストリア)です。
1880、1882、1889〜1896年と、
滞在回数が一番多く、12回分の夏を過ごしました。
ウィーンの喧騒を離れ、
豊かな自然の中を散策したり、
カフェ(行きつけがあったそうです)でゆったりと過ごすことを好み、
自由にのびのびと作曲したブラームス。
特に、1889年からの作品のほとんどは、
バート・イシュルで作られています。
神経質で気難しいと言われるブラームスですが、
バート・イシュルでは、
当時、同じく滞在していたヨハン・シュトラウス2世やマーラーと親交を深め、
和やかに音楽談義を交わす日々でした。
この書簡は、
女性の友人あてに、丁寧なお礼状を書いていることから、
礼儀正しく友好的に過ごしていたことがわかる資料です。
今回のコラムにもお付き合いいただき、
ありがとうございました。
次回のコラム『ちいさな感動おおきな感動』も
よろしくお願いいたします。
梅谷音楽学院 講師 IKUKO KUBO (^^♪