今回は、大人の声楽科でレッスンした曲
『埴生の宿(はにゅうのやど ) 』について学んでいきます。
曲の背景を知ることで、理解を深め、歌の表現に生かしましょう。
遠い明治の昔から現在まで長きに渡って歌い継がれ、
変わらず親しまれてきた曲『埴生の宿』。
『埴生の宿』のメロディーは、
映画(『ビルマの竪琴』『二十四の瞳』『火垂るの墓』・・・)、
ドラマ(『ゲゲゲの女房』『マッサン』『西郷どん』・・・)、
CMで、幾度となく使われました。
また、電車の到着を知らせるチャイムや、
町の防災無線のチャイムなどでも多く使われていて、
暮らしの中にも なじんでいます。
皆さんも、きっと一度は、
「聞いたことがある!」
「歌ったことがある!」のではないでしょうか。
🎼『埴生の宿』の読み方&意味
メロディーは広く親しまれていますが、
『埴生の宿』という言葉は、
普段は、目にしたり 聴いたりする機会が、それほどありません。
皆さんは、読み方&意味を知っていますか。
『埴生の宿』は、
「はにゅうのやど」と読み、
「土壁でできた粗末な家」という意味です。
では、『土壁でできた粗末な家』という題名から、
曲のテーマはイメージできるでしょうか。
難しいですね。
それもそのはず、
この題名は、曲のテーマの半分が省略されているのです。
🎼イングランド民謡『埴生の宿』の原題からテーマがわかる
あまり知られていませんが、
『埴生の宿』は、元は、イングランド民謡です。
▼民謡とは
ある特定の地域や職業の不特定多数による民衆の中で発生し、
伝えられてきた歌。
それは、それぞれの地域や職業の生活の中で生まれた固有の歌である。
イングランドの作曲家 ヘンリー・ビショップ(1786-1855)が、
民謡から着想を得て 、1823年に作曲しました。
日本の歌ではなかった、とは、意外ですね。
『埴生の宿』つまり『土壁でできた粗末な家』のテーマは、
原題を見ると、はっきりとわかります。
原題は『ホーム・スイート・ホーム ( Home! Sweet Home! ) 』
『埴生の宿』の省略された、残り半分の意味を、題名に付け足すと、
『土壁でできた粗末な家でも、楽しい我が家』
となります。
※『埴生の宿』の他にも、『楽しき我が家』という日本語訳の題名でよばれる場合もあります。
🎼イングランド民謡『埴生の宿』は、【 日本の歌 】になった
イングランド民謡『埴生の宿』は、
日本で、あまりにもなじみ深く歌われているので、
すっかり【日本の歌】として定着しています。
というよりも、「【日本の歌】になった」
と言えます。
「【日本の歌】になった」と書いたのは、
なじみ深いから、昔から親しまれているから、
という感覚的なことではありません。
事実、「【日本の歌】になった」のです。
その理由は主に、次の3つの点からです。
♪【日本の歌】になった理由 ①『中等歌唱集』に掲載される
明治22年(1889年)から、
中学校の音楽教材として、『中等歌唱集』に掲載されました。
♪【日本の歌】になった理由 ② 太平洋戦争中の「敵性レコード」から除外される
太平洋戦争中 ( 昭和16~20年 (1941-1945 ) ) は、
敵国であるアメリカ・イギリスの言葉を使うことや、
音楽を演奏することなどが、禁止されました。
そのため、家庭で楽しまれていたレコードも、
およそ1000種類のレコードが、
「敵性(敵国の)レコード」として、
「廃棄すべき敵性レコード一覧表」にまとめられました。
そのような中でも『埴生の宿』は、
「日本語の歌詞での歌唱で、国民生活に広く馴染んでいる」として、
このリストから除外されています。
♪ 日本の歌】になった理由 ③ イングランド民謡『埴生の宿』が《 日本の歌百選 》に選ばれる
『埴生の宿』は、《 日本の歌百選 》に選ばれています。
選定されるための応募条件は「日本語の歌詞の歌」だったので、
『埴生の宿』はイングランド民謡ですが、
日本語の訳詞によって広く歌われていたため、条件をクリアしていました。
▼日本の歌百選 2006年に、文化庁と日本PTA全国協議会が、 親子で長く歌い継いでほしい抒情歌・愛唱歌を101曲選んだもの。 「100」ではなく「101」曲なのは、 選考の結果、どうしてもしぼり切れなかったため。
♬ 101選に選ばれた曲を一部ご紹介(題名のみ)します。 赤とんぼ いい日旅立ち 犬のおまわりさん 上を向いて歩こう 大きな古時計 川の流れのように さくらさくら 幸せなら手をたたこう 世界に一つだけの花 翼をください 手のひらを太陽に 夏の思い出 見上げてごらん夜の星を もみじ われは海の子…他
どの曲も、日本で生まれ育った人ならば、
誰もが知っている、 まさに【日本の歌】です。
この中に、イングランド民謡『埴生の宿』が選ばれているのです。
🎼『埴生の宿』の日本語の歌詞と、その意味
次に、日本語の歌詞を読んで、
テーマ「土壁でできた粗末な家でも、楽しい我が家」についての
理解を深めましょう。
明治時代に作詞された歌詞が、
そのまま現在でも変わらず歌い継がれているため、
意味がわかりにくいところがあります。
歌詞の下に記入した現在の意味を確認しながら読んでください。
この歌詞からは、作詞者の心の豊かさが伝わってきます。
🎼歌い継がれる『埴生の宿』と時代の移り変わり
明治時代(1868〜1912年) の【宿】について
明治時代は、「文明開化」が急速に進みました。
鉄道などのインフラ、郵便事業の開始、電灯の設置、
学校や裁判所、図書館の整備、ホテルや劇場の誕生など、
次々に「新しいもの」がうまれていきました。
明治時代に作られたこれらの様々な物事は、
現在の私たちの暮らしにまでつながる重要な基盤となりました。
そして、西洋の文化が取り入れられ、
服装、ヘアースタイル、食べ物だけでなく、
習慣や思想までもが、「西洋化」されていきました。
そのような進歩と改革の中、
『埴生の宿』が、中学校の音楽教材として『中等歌唱集』に掲載されたのが、
明治22年(1889年)からです。
一般の人々の【宿】は、変わっていったのでしょうか。
同じように、住宅も、
洋風の建築、洋風の生活様式が急速に取り入れられます。
しかし、建築には多額の費用がかかりました。
そのうえ、日本の気候や生活スタイルに合わせて作られた
日本家屋の方が住みやすいと考えられていたので、
洋風建築の住宅が一般に広がるのは、もう少し後の時代になります。
ひとつ、興味を引くことは、
この時代になって初めて、ちゃぶ台が使われるようになり、
これまでの一人一膳の食事スタイルから、
ちゃぶ台を家族で囲んで、一緒に食事をするスタイルへと変わったことです。
明治時代の【宿】
「家屋」としては質素な日本家屋
「家庭」としては「家 ( 家族 ) 」の関わり方が変化し、食事を共に楽しむようになった
『埴生の宿』は、
明治時代の【宿】事情とぴったりと合致していたからこそ、
中学校の音楽教材として『中等歌唱集』に掲載され、
一般的にも広く歌われるようになったのでしょう。
令和時代 ( 2019年~ ) の【宿】の 意味とは・・・
長くなるので、大正、昭和、平成時代を飛び越えて、
現在の、令和の世の中について考えていきます。
『埴生の宿』が、中学校の音楽教材として『中等歌唱集』に初めて掲載されてから、
135年の長い年月がたちました。
令和は、新型コロナのパンデミック、ウクライナ侵攻、能登半島地震など、
大きな不安や心配がともなう出来事が起き、
今もなお、困難な状況を乗り越えようとしている さなかです。
世界は、ボーダレス化し、
日本から遠く離れたところで起こったできごとでも、
無関係ではいられなくなりました。
いつでも誰とでも、インターネットで繋がることができ、
知りたいときに知りたい情報を
得ることができるようになった反面、
知られたくないことも、
知らない間に不特定多数の人々に知られてしまうようにもなりました。
価値観は多様化し、
何が幸せと感じるのかは、その人それぞれで違います。
令和時代の【宿】
どのような「家屋」に、
「誰と」、どのような「暮らし」をし、どのように「食事をする」のか、
皆が皆、同じものを望んでいるのではない時代。
そのような令和の時代にあって、
【宿】とは、どのような意味を持つでしょうか。
『埴生の宿 ( Home! Sweet Home! ) 』は、
【宿】の意味をあらためて考える機会を与えてくれました。
どのような「家屋」に、
「誰と」、どのような「暮らし」をし、どのように「食事をして」いても、
その中に、幸せを発見できるような世の中でありますように。
清々しいなめらかな『埴生の宿』のメロディーを歌って、
『埴生の宿』の作詞者のように、
「物」ではなく「心」の豊かさを持てますように。
皆さんも、当教室で、ご一緒に歌って、
心豊かな時間を過ごしてみませんか。
今回のコラムにもお付き合いいただき、
ありがとうございました。
次回のコラム『ちいさな感動おおきな感動』も
よろしくお願いします。
梅谷音楽学院 講師 IKUKO KUBO (^^♪