『アイスクリームのうた』歌のレッスン:つめたい、あまい、おいしい、を表現しよう!

音楽 ちいさな感動 おおきな感動

当教室の、こどものうたクラスの生徒さんたちにも大人気の歌、
子どもの童謡『アイスクリームのうた』。

今回は、この曲をレッスンする際の、
指導のポイントをお伝えしていきます。
        

🎼『アイスクリームのうた』が作られたのは

その前に、
アイスクリームのうた』について、簡単にご紹介します。

アイスクリームのうた』は、
1960年、ABCラジオ(朝日放送)の『ABC子どもの歌』のために書き下ろされました。
1962年、NHK『みんなのうた』で放送され人気が広まり、
その後、同じくNHKの『おかあさんと一緒』でも放送されるようになりました。           

🎹『アイスクリームのうた』作詞者

佐藤義美(1905-1968年)
※作品によっては、
ひらがな表記の さとうよしみ の場合もあります。
童謡作詞家・童話作家・詩人として、数多くの童謡・童話を残しています。

童謡の代表作のひとつ、
『犬のおまわりさん』(1960年発表)は、
2006 年に【日本の歌百選】に選出されています。

【日本の歌百選】とは

2006年に、文化庁と日本PTA全国協議会が、
親子で長く歌い継いでほしい抒情歌・愛唱歌を101曲選んだもの。
「100」ではなく「101」曲なのは、
選考の結果、どうしてもしぼり切れなかったため。
      

🎹『アイスクリームのうた』作曲者

服部公一(1933-)
作曲家・随筆家・音楽評論家として多方面で活動し、
作曲家としては、管弦楽曲・合唱曲を数多く手がけました。

童謡では『マーチングマーチ』(1964年発表)が広く知られています。
他に『うちのネコぼくのネコ』『カレーライスのうた』『月火水木金土日のうた』
などの曲も、子供たちの教育の場でよく歌われています。

♫ 服部公一先生との共演エピソード ♫

実は、私には、
作曲家 服部公一先生との、特別なエピソードがあります。

私が中学1年生の時に、
千里よみうり文化センターで開催の演奏会で、
服部公一先生が作曲された「ピアノ協奏曲」のピアノ独奏を、務めたことがあるのです。

しかも、服部先生の指揮で!です。

とても貴重で、学び多き経験でした。

このエピソードは、
『アイスクリームのうた』とはまた別の話になるので、このブログ記事の
一番最後でご紹介しています。

ご興味のある方は、是非、最後までお読み下さい!
       

🍨『アイスクリームのうた』歌詞

次に、歌詞を読んで、曲も聴いてみてください。

 おとぎばなしの おうじ(おうじょ)でも
むかしは とてもたべられない
アイスクリーム アイスクリーム
ぼく(わたし)は おうじ(おうじょ)ではないけれど
アイスクリームを めしあがる

スプーンですくって
ピチャッチャッチャ
したにのせると トロントロン

のどをおんがくたいがとおります

プカプカ ドンドン つめたいね
ルラルーラルーラ あまいね
チータカ タッタッタッ おいしいね


アイスクリームは たのしいね


※(  )は2番

       

『アイスクリームのうた』
作詞 / さとうよしみ 作曲 / 服部公一
歌 / はいだしょうこ

         

🎼食べ物としてのアイスクリームの歴史

では、
食べ物としてのアイスクリームは、いつ、誕生したのでしょうか。

歌詞にあるように、
「♫ おうじ・おうじょでも とても たべられない ♫」食べ物だったのでしょうか。
そして、
一般的に食べられるようになったのは、いつ頃のことでしょうか。

生徒さんに、歌い方をレッスンするための、
指導者の予備知識として確認しておきましょう。

🍨世界の【冷たい食べ物】の始まり

世界の【冷たい食べ物】の歴史は、とても古く、

今から2400年前・日本では縄文時代にあたる
紀元前400年頃、
ペルシャ帝国には、シロップを雪で冷やした「シャルバット」がありました。
「シャーベット」の始まりです。

紀元前330年頃、
ローマでは、風味を付けた氷を作り、
アレキサンダー大王が、はちみつをかけて食べていました。

🍨【アイスクリーム】の始まり

※ここでは、乳製品を冷菓の原材料に使っているもの、とします。

1670年代 イギリス・フランス
アイスクリームという言葉が初めて登場しました。
手作業で製造されていて、
主に、王族が楽しむための食べ物でした。

1768年フランス
世界で初めての、アイスクリームのレシピ本が出版されました。
この頃は、まだぜいたく品で、一部の貴族が晩餐会などで食べていました。

1843年アメリカ
アイスクリームメーカーが発明されたことで、
製造時間が大幅に短くなり、低コストで作ることが可能になりました。

1851年アメリカ
世界初のアイスクリーム工場が建設されると、
大量生産が可能になり、一般市民にも手が届くようになりました。

🍨日本での【アイスクリーム】の歴史

では、日本で初めてアイスクリームが食べられたのは、
いつのことでしょうか。

1860年 
日米修好通商条約の書類交換のため、
徳川幕府が派遣した使節団一行が、アメリカで食べたのが最初です。

1869(明治2)年
日本で初めて、横浜で、製造・販売されました。
当時は、とても高価な食べ物で、 今の価格で一皿¥8,000でした。
まだカップ入りやコーン付きなどのアイスクリームはなく、お皿に移して販売していました。

1883(明治16)年 
海外の賓客をもてなす鹿鳴館で、
日本の近代化をアピールするために欠かせない、晩餐会のデザートとなりました。

1899(明治32)年
レストランのメニューに、初めて【アイスクリーム】が加わりました。

1920年(大正9)年
アイスクリームの工業化がスタートし、
それまでは、 ホテルやレストランで「外食」として食べるものでしたが、
家庭でも食べられるようになりました。

1953年頃(昭和28)年
一人分の容器に入ったカップアイスの本格的な生産が始まり、
食べやすい形態になったことから、人気が広がっていきます。
またこの頃から、
冷凍庫付きの家庭用冷蔵庫が普及していきます。

1956年(昭和31)
大量生産による製造が可能になり、
アイスクリームは、急速に大衆化していきました。

       

🎼「おうじ・おうじょでも むかしは とても たべられない」わけ

世界のアイスクリームの歴史を調べてみると、
「♫ おうじ・おうじょは むかしも たべていた アイスクリーム ♫」
なのですが、

運搬技術や冷凍庫などない時代に、
凍らせておく必要のある食べ物を作ることは、
莫大な費用と人員と労力がかかりました。

まず、寒冷な山や川まで行き、
雪や氷を集めて荷車などに積み込み、
長い道のりを融けないように運び、
その後、なるべく長い時間 保存するために、
地中深く穴を掘り、その中に雪や氷を下ろし、
わらなどを詰めておかなければなりません。

そして、雪や氷を無事に運搬し保存できても、
肝心のアイスクリーム作りにもまた、
ふたたび大変な時間と労力を費やさなくてはなりませんでした。

全ての作業が手作業です。
クリーム、乳製品、砂糖などの材料を冷やし続けるために、
氷を大量に砕くことから始まり、
合わせた材料が固めて、アイスクリームができるまでの間、
何時間もかき混ぜなくてはならなかったのです。

ということから、
「♫ たとえ おとぎばなしのおうじ・おうじょでも
むかしは いつでも たべたいときに
たべたいだけたくさん たべられるわけじゃないよ アイスクリーム ♫」

ですね。

そして一般市民にとっては、
「ぼく・わたしは おうじ・おうじょではない
だから むかしは とてもたべられない アイスクリーム ♫ 」

でした。       

現在は、嬉しいことに、歌詞の通り、
「♫ ぼく・わたしは おうじ・おうじょ ではないけれど
アイスクリームを めしあがる ♫」

ことができます。
      

🎼『アイスクリームのうた』レッスンのポイント

では次に、
アイスクリームのうた』のレッスンのポイントをお伝えしていきます。

🎵表現の第一歩: 実体験からの歌の表現

アイスクリームのうた』の歌詞は、
アイスクリームを食べて感じることを、一般的な感覚を前提として書かれています。

アイスクリームは
「つめたい」「あまい」「おいしい」の3点です。

歌が歌える年齢になっている生徒さんは、
おそらくどの生徒さんでも、アイスクリームを食べたことがあるでしょう。

歌詞に書かれていることが、
生徒さんの実体験で得ている感覚と同じであれば、
歌に対しての理解が易しくなるので、より表現しやすくなります。

《実体験から表現することは、表現することの第一歩です。》

自分自身の体で確かな感覚として体験したことを、

声の表情(声色・歌い方)
  +プラスして
顔の表情
体全体の表現(時には身振り手振りも加えて)
自分自身の体全体から、気持ちがあふれ出るように表現します。

《歌で表現する》とは
ただ《声を出すことだけ》で表現するのではありません。
《体全体を楽器にして、丸ごとの自分自身》で表現するの
です。

それが、歌を歌うことの醍醐味であり、喜びです。

練習を重ねていくことで、
生徒さんにも、是非、
この喜びを感じるようになって欲しいと考えています。

🎵実体験した時の感覚・気持ちを明確に心に描く

表現するときは、

実体験した感覚・気持ちを思い出して、
《その感覚・気持ちを明確に心に描くこと》

例えば、
アイスクリームを実際に食べたときに、
「つめた~~~い!!!」
と思わず声に出して言うことがありますね。

その時と同じような
声色・声の出し方、顔の表情・体の動きを、歌うときにも再現します。

言葉をメロディーにのせながら、
アイスクリームの「つめたさ」を明確に心に描いて、
「つめたいね」と歌ってみましょう。

そうすることで、

「つめたい」は《つめたそうに
「あまい」は《あまそうに
「おいしい」は《おいしそうに

表現できるようになります。

🎵「おんがくたい」が表現していることとは

歌詞の「おんがくたい」が演奏をしている所に注目してみましょう。

のどをおんがくたいがとおります

プカプカ ドンドン つめたいね
ルラルーラルーラ あまいね
チータカ タッタッタッ おいしいね


アイスクリームは たのしいね

この部分は、
「おんがくたい」が演奏している「音」が、
「つめたい」「あまい」「おいしい」をより強調する役目をしています。

「プカプカ ドンドン」
「ルラルーラルーラ」
「チータカ タッタッタッ」は、それぞれ何の楽器の音でしょうか?

生徒さんが自由に発想できるように導いていくと、
レッスンも活気づいてきますね。

🎵「「アイスクリームは たのしいね」

アイスクリームのうた』では、

「おいしい」=「たのしい」
と表現しています。

   ⇩
《アイスクリームはおいしくて、心が満たされて、心地よく明るい気分になりますね。》
ということですね。
この部分が、『アイスクリームのうた』のテーマです。
最大限に気持ちを込めて歌いましょう!

🎵「アイスクリームを めしあがる」ことの特別感を表現する

♫ ぼく(わたし)は おうじ(おうじょ)ではないけれど
アイスクリームを めしあがる ♫

誰でも手軽に、「アイスクリームを めしあがる」今の時代でも、
「アイスクリームを めしあがる」ことが「たのしい」のは 、どうしてなのでしょうか?

『チョコレートのうた』や『おまんじゅうのうた』だったとしても、
『アイスクリームのうた』と同じように楽しんで歌えるでしょうか。

この曲が大人気で、
歌うと、自然に笑顔に、楽しい気持ちになるのは、
やはり『アイスクリームのうた』だからではないでしょうか。

理由を考えてみましょう。
それは、

《「つめたい」+「あまい」=「おいしい」》

を、十分に満たしている食べ物は、
アイスクリームをおいて他にはないから、
ではないでしょうか。

お素麺・冷やし中華・サラダなどは
「つめたい」ですが、あまくはありません。

チョコレート・おまんじゅう・クッキーなどは、
「あまい」ですが、つめたくはありません。

ヨーグルトは、どうでしょうか。
つめたさもあまさもアイスクリームより控え目です。
プリンは、
あまさは十分ですが、アイスクリームほどのつめたさではありません。
かき氷は、
キーンとするつめたさがあり、シロップや練乳などであまいですが、
氷と合わさることで、だんだん薄まっていきます。

さらに、
ヨーグルト・プリン・かき氷は、
味や形・種類の多さは、アイスクリームにはかないません。
アイスクリームは、食べる前の選ぶ段階からも楽しめます。

かといって、
あれもこれもというわけにはいきません。

手軽に食べられる時代にはなりましたが、
食べたいときに食べたいだけ「アイスクリームを めしあがる」ことが出来ません。
なぜなら、食べ過ぎると、おなかが冷えてしまうからです。

そして、
アイスクリームは、時間がたつと溶けてしまいます。
じっくり味わいたい気持ちがあっても、
短い時間で食べ終えなくてはなりません。

アイスクリームには、たくさんの「たのしいね」のわけがありますね。

レッスンは、アイスクリームの魅力について、
生徒さんと一緒に話をしながら進め、

今の時代にも、「アイスクリームを めしあがる」ことが、
他の食べ物にはない《特別感》があることを、
生徒さんに理解してもらうようにしましょう。

そうすることで生徒さんは、
よりしっかりした表現を出せるようになるでしょう。
      

🎼ご一緒に歌いましょう!

表現することの第一歩、
実体験から表現することを楽しく学べる『アイスクリームのうた』を、
当教室で、ご一緒に歌いませんか。

《体全体を楽器にして、丸ごとの自分自身で表現する》
喜びを味わいましょう!
              

🎼作曲家 服部公一先生と共演!

『アイスクリームのうた』の作曲者、服部公一先生との共演は、
服部先生からのお声掛けで実現しました。

当音楽学院代表で、私の父でもある梅谷邦彦が指導していた女声合唱団、
千里丘カナリアコーラスの演奏を耳にされた服部先生が、

服部公一先生企画・構成の演奏会に、
是非、出演してほしいと、ご本人からご依頼があったのです。

合唱の他に、
服部先生が作曲された「ピアノ協奏曲」のピアノを、
先生の指揮で演奏する独奏者も、
当音楽学院の生徒たちに出演してほしい、
というご要望があり、私も、出演することになりました。
1981年、中学1年生の時でした。

▼ピアノ協奏曲とは
オーケストラを伴奏に(今回は室内合奏団)、ピアノが独奏する曲です。

「音楽と仲良しになりましょう。」
という趣旨で開催された服部公一先生企画・構成の演奏会
『ファミリーコンサート』は、

童謡・交響曲・ピアノ協奏曲・合唱曲と、
盛りだくさんのプログラムが組まれていて、
出演者とお客さまが一体となって楽しめるコンサートでした。

私が演奏したのは、
服部先生作曲の「ピアノ協奏曲」ニ長調の第 1 楽章、
快活で独創的なユーモアセンスたっぷりの曲です。

当音楽学院の出演者、室内合奏団の本番までの指導は、父の梅谷邦彦です。

オーケストラをバックに、ピアノを独奏するステージ出演は、
気持ちが高揚して、ワクワクしながら練習に励みました。

それまでにも、
協奏曲(ハイドン作品)をステージで演奏した経験はあったのですが、
今回は、作曲なさった服部先生の指揮での独奏です。
とにかく夢中で演奏し、無事に弾き終えたときには、
嬉しさと達成感でいっぱいになりました。
          

演奏した「ピアノ協奏曲」の楽譜を、
服部公一先生の自筆サイン付きで、記念にいただきました。

         

プログラムが服部公一先生の司会で進められる中、

父、梅谷邦彦の指揮で、
女声合唱団 千里丘カナリアコーラスの演奏が始まりました。

合唱の最後を締めくくる曲として、
ヨーゼフ・シュトラウス作曲のワルツ『オーストリアの村つばめ』を、
服部先生編曲の合唱曲版で演奏し、好評を博しました。

著名な作曲家である服部公一先生と、
わずか中学1年生の私と父が、
ステージを共にさせていただいたことは、
とても光栄なことであり、貴重な経験として、今も私の記憶の中にあります。
          

『ファミリーコンサート』

1981/5/3
千里よみうり文化センター

出演
服部公一(企画・構成・指揮)
熊倉一雄(俳優・演出家)


千里丘カナリアコーラス(合唱)
梅谷邦彦(指揮)

梅谷(久保)郁子(ピアノ独奏)
※ピアノ独奏は、当音楽学院の生徒が他に2名。

大阪室内合奏団

          
今回のコラムにもお付き合いいただき、
ありがとうございました。
次回のコラム『ちいさな感動おおきな感動』も
よろしくお願いします。

梅谷音楽学院 講師 IKUKO  KUBO (^^♪

大阪府吹田市千里丘の音楽教室です。 幼児(3歳)からシニアの方まで、随時ご入会を受け付けています。 現在、個人レッスンによる「ピアノ」「声楽」「チェロ」「ソルフェージュ(視唱、聴音、楽典など)」の4科目を開講しており、初心者、経験者、趣味で楽しみたい方、また音楽大学・音楽高校を目指したい方など様々な生徒さんが在籍されています。 ご一緒に音楽を楽しみませんか。
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