多彩な能力を持つドイツの詩人ゲーテ(1749-1832年)が、
22歳のとき(1771年)に書いた詩『野ばら』は、
当時の音楽家たちの間でも、大変な人気があり、
同じ詩から、154曲もの 歌曲『野ばら』が作曲されました。
その154曲の中でも特に有名な、
ヴェルナー(1800-1833年 ドイツ)作曲の歌曲『野ばら』を、
大人の声楽科クラスでレッスンしました。
🎼ヴェルナー作曲:ドイツ歌曲『野ばら』の魅力
ゲーテの詩『野ばら』は、
【「童 ( わらべ ) =少年」と「野バラ」の関係性が、《劇的に》変化していく様子】
が、鮮明に書かれています。
ヴェルナー作曲の歌曲『野ばら』の練習には、次の2点の魅力があります。
①【《劇的》に変化していく詩の内容とは「正反対」の印象】の
美しく柔らかなメロディーを特徴として作曲されている
②その穏やかなメロディー上で、
【《劇的な》変化を表現する】には、どのように歌えばよいか
試行錯誤しながら、表現力に磨きをかける
この2点の魅力を掘り下げて、歌い方に取り入れていきましょう。
🎼ゲーテの詩『野ばら』は3番まであり、《劇的に》変化します
ゲーテの詩『野ばら』は、3番まであります。
1番、2番、3番で、
内容が【《劇的に》変化する】ことを知っていますか。
【「童 ( わらべ ) =少年」の、バラに対する気持ちが《劇的に》変化していく様子】
が、鮮明に書かれています。
どのように変化していくのか、詩を読んでみましょう。
日本で広く親しまれている近藤朔風の日本語の歌詞と、
ドイツ語で書かれたゲーテの詩の対訳を合わせて、読んでください。
♫ 皆さんが良く知っている1番
1番の歌詞:日本語 童 ( わらべ ) はみたり 野なかの薔薇 ( ばら ) 清( きよ )らに咲ける その色 愛 ( め ) でつ 飽かずながむ 紅 ( くれない ) におう 野なかの薔薇 ( ばら )
1番の歌詞:対訳 少年が野に咲く小さなバラをみつけた それは とても若く美しい 駆け寄って間近で見れば 喜びにあふれる バラよ 赤いバラよ 野に咲く小さなバラよ
野に咲く美しいバラを見つけて、
心が満たされる少年が、微笑ましいですね。
詩を読んでいる人の心も和みます。
♫《 劇的に》変化する2番
2 番の歌詞:日本語 手折りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇 ( ばら ) 手折らば手折れ 思出ぐさに 君を刺さん 紅 ( くれない ) におう 野なかの薔薇 ( ばら )
2番の歌詞:対訳 少年は言った「君を折るよ。」 野ばらは言った「ならばあなたを刺します いつも私を思い出してくれるように 私は苦しんだりしません。」 バラよ 赤いバラよ 野に咲く小さなバラよ
「手折れ」「刺さん」など、
不穏なイメージの言葉が並んでいます。
1番で、バラの美しさに見とれていた少年の【気持ちの変化は《劇的》】です
少年たちが持つ特有の、
冒険心、好奇心旺盛、荒っぽさ、
やんちゃでいたずら好きなところからくる変化なのでしょうか。
とてもスリリングな展開に驚きます。
この後、3番では、どうなってしまうのでしょうか。
♫ 悲しい結末の 3 番
3 番の歌詞:日本語 童は折りぬ 野なかの薔薇 ( ばら ) 折られてあわれ 清らの色香( いろか ) 永久( とわ )にあせぬ 紅 ( くれない ) におう 野なかの薔薇 ( ばら )
3番の歌詞:対訳 乱暴な少年はバラを折った バラは抵抗して彼を刺した 痛みや嘆きも彼には届かず 野バラは ただ耐えるばかり バラよ 赤いバラよ 野に咲く小さなバラよ
何と、少年は「君を折るよ。」と脅かしただけではなく、
実際に、バラを折ってしまいました。
強がっていたバラも、ショックを隠しきれず、哀れに耐えるだけとなりました。
いったい、少年に何が起こったのでしょうか。
🎼童 (少年 ) =ゲーテ自身
野に咲く美しいバラを見つけて、
心が満たされていた少年の心が【《劇的に》変化して】バラを折ってしまいました。
実は、この詩は、
童 (少年 ) =ゲーテ自身
野ばら=ゲーテが恋をした女性
を、表しています。
ゲーテは、22歳(1771年)のときに、農夫の娘に恋をしていました。
その農夫の娘に贈った詩が『野ばら』です。
ゲーテと女性の関係が続いたのは、ほんの短い間で、
これからも関係が続くものと思っていた女性のもとから、
ゲーテは、一方的に去っていったのです。
身勝手に去っていったゲーテでしたが、
この経験は、女性だけではなく、
ゲーテ自身にも、切ない心の痛みとして残りました。
女性と過ごした喜び、充足感、痛み、傷つけたことの悔み、、、
ゲーテのあらゆる生きた感情が、
あふれ出て誕生したのが『野ばら』の詩です。
🎼《劇的な》気持ちの変化を表現しよう
ゲーテの、
女性に対するあらゆる生きた感情が、あふれ出て誕生した詩『野ばら』。
詩の、洗練された精神的神聖さが、
歌で表現することによって、
より強調され、より高められた芸術作品【ドイツ歌曲】となります。
少年(ゲーテ)の【《劇的に》変わるバラ(女性)に対する気持ち 】を、
【ドイツ歌曲】として、歌で表現しましょう。
▼ドイツ歌曲について
ゲーテと同じ時代に活躍した、クラシック音楽におけるロマン派の作曲家
シューベルト(1797-1828年 オーストリア)は、
詩と音楽を融合することで、
詩の内容をより深く表現することに力を注ぎました。
その結果、歌は、【歌曲】としての芸術作品に高められることになったのです。
これは、音楽史上、とても意義深いことでした。
シューベルトは、31年の短い生涯で、600曲もの【歌曲】を作曲しています。
その功績により、「歌曲王」と称されました。
🎼 詩の内容は《劇的に》変化するのに対し、メロディーは全く変化しません
気持ちの変化が大きく、明瞭なので、
表現するのは それほど難しくはないのではないか、と思いませんか。
ところが、難しいのです。
ヴェルナー作曲の歌曲『野ばら』は、
詩の内容が1番、2番、3番で【《劇的に》変化して】いるのに対して、
曲調が、全く変わりません。
メロディー、ハーモニー、リズムなどの、
曲の構成が全く変わらず、3回、同じように繰り返します。
ゆったりと穏やかなメロディーと、美しいハーモニーの重なりは、
歌曲『野ばら』の1番の歌詞に、ピッタリと合うイメージです。
バラ(女性)の美しさが心に染み入って、
じんわり広がっていく少年(ゲーテ)の穏やかな幸せが、
確かなものとして伝わってきます。
🎼2番、3番は【曲調とは「正反対」の感情】を表現しなければならない
2番、3番が難しいのは、
《ゆったりとした優しい曲調》が、そのまま繰り返されるのに対して、
【曲調とは「正反対」の感情】を表現しなければならないことです。
例えば、次のように、
曲調に部分的な変化があれば、どうでしょうか。
⇨ 緊迫感がでます。
⇨ ショッキングな感じがでます。
⇨ 暗く、つらい雰囲気がでます。
このように、曲調に変化があれば、
聴いている人にも、少年(ゲーテ)の気持ちの変化が伝わりやすくなります。
ですが、
気持ちの変化に対して、曲調が全く変わらない場合、
どのように歌えばよいでしょうか。
🎼2番、3番の歌い方:表現のポイント
♪ まず、感情の変化に合わせて、歌ってみましょう
まず、詩から明瞭にわかる少年(ゲーテ)の気持ちの変化に合わせて、
歌い方 : 声色、声の響かせ方、発音の仕方
体全体の印象: 顔の表情、姿勢、身振り手振り
などの表現を工夫しましょう。
♪ 正反対のイメージが自然に違和感なく伝わるように
【《ゆったりとした優しい曲調》とは「正反対」の感情】のイメージは次のようになります。
この場合、注意しなければならないのは、
曲調に対して、
【「正反対」の感情の表現】が同時に聴こえてくると、
聴き手は違和感を覚えることがある。
という点です。
「曲調」と「表現」がちぐはぐになり、
何をイメージしているのかが、かえって伝わりにくくなってしまうのです。
「曲調」と「詩に合わせた歌の表現」が、
バランスよく、しっくりと融和する表現の強さのポイントを探しましょう。
いかに自然に違和感なく【「正反対」の感情】を
歌にのせて表現できるかが、ポイントです。
難しいですが、実験的に楽しみながら、練習しましょう。
🎼なぜ、ヴェルナーは、曲調を全く変化させなかったのでしょうか
なぜ、ヴェルナーは、
【《 劇的に》変化する少年(ゲーテ)の気持ち】に対し、
曲調を全く変化させなかったのでしょうか?
それは、
ゲーテが女性の元を去った後、
女性を傷つけたことを悔み、自分の残酷さに落ち込み、
その気持ちを昇華するために、詩『野ばら』を書いたのだ、
と感じ取ったからではないでしょうか。
ゲーテの心の片隅にしみじみとよみがえってくる、
穏やかで幸せな気持ち。
女性に対してとった冷淡で残酷な行動よりも、
初めに抱いた憧れ、嬉しさ、育んだ愛情、親しみ、ともに感じた喜び・・・を
ゆったりとした優しい曲調を変えないことで、伝えようとした
のではないでしょうか。
皆さんも、
ドイツの文豪ゲーテが、
若かりしときの自身の体験を詩にした『野ばら』を、
ヴェルナー作曲の、
穏やかな深みのあるメロディーで、ご一緒に歌ってみませんか(^^♪
前回の記事で、
ヴェルナー作曲の『野ばら』と、比べて学んだシューベルト作曲の『野ばら』も、
1番、2番、3番の曲調が全く変わりません。
機会があれば、合わせて練習してみてください(^^♪
🎼「比べて歌おう!『野ばら』シューベルト少年とヴェルナー少年:歌のレッスン」
コラム『音楽 ちいさな感動 おおきな感動』の前回記事のご紹介
ヴェルナー作曲の『野ばら』とともに、
特に、広く世界中で愛されている、
シューベルト(1797-1828年 オーストリア)作曲の『野ばら』を取り上げ、
この2曲の名高いドイツ歌曲『野ばら』を比較し、
それぞれの特徴を学ぶことで、
歌の表現力の発展に、生かせるようにしました。
シューベルトとヴェルナーの『野ばら』は、
【同じ歌詞からインスピレーションを得て】作曲されたとは思えないほど、
全く違う印象を受けます。
なぜ、大きく違う印象の『野ばら』が作曲されたのでしょうか?
ご興味のある方は、是非、お読みください。
今回のコラムにもお付き合いいただき、
ありがとうございました。
次回のコラム『ちいさな感動おおきな感動』も
よろしくお願いします。
梅谷音楽学院 講師 IKUKO KUBO (^^♪