🎼《愛する花嫁へ》
シューマン作曲のドイツ歌曲『献呈』は、
クラシックの声楽を学ぶ人なら、誰もが知っている有名な歌曲です。
抒情あふれる美しい歌曲であることに加えて、
この歌曲を有名にしているわけが、もう一つあります。
それは、シューマンが、
最愛の恋人クララと結婚する前日に、
《愛する花嫁へ》とメッセージを記して、クララに捧げた曲だからです。
ドイツ歌曲『献呈』は、
クラシック音楽史上、最もロマンチックな歌曲、と言われています!
シューマンのクララへのあふれる愛を感じ取り
表現豊かに歌えるよう、
『献呈』について、もう少し詳しく学んでいきましょう。
🎼ロマン派を代表する作曲家 シューマン
ドイツ歌曲『献呈』の作曲者、
ロベルト・シューマン(ドイツ 1810-1856年)は、
クラシック音楽におけるロマン派を代表する作曲家のひとりです。
古典派からロマン派に移り変わっていく時期、
ベートーヴェンやシューベルトが音楽に取り入れた
ロマン的な要素を受け継いでいったとされます。
歌曲・合唱曲・ピアノ曲・協奏曲・交響曲などの
幅広い作品の中でも特に、
歌曲とピアノ曲において、高い評価を得ています。
また、
シューマンは、子どものころから読書好きで、
文学・哲学の知識も豊富でした。
ジャン・パウル(ドイツの小説家1763-1825年)の本を読んだシューマンは、
次の文章にアンダーラインを引いています。
「花は生きていて 眠るからには、
きっと 子供や動物と同じように夢を見る。
結局、生物はすべて夢を見るのだ。」
シューマンは、哲学的で詩的な人物でした。
🎼シューマンの歌曲の重要な役割
シューマンの歌曲は、
クラシック音楽の歴史において、重要な役割を果たしています。
▼【歌曲】とは、
詩に曲を付け、詩の内容を歌でさらに深く表現することで、
詩と音楽が融合し、
より一層高度な芸術作品に高められた歌曲のことをいいます。
古典派文学の後に、豊かに開花したロマン派文学は、
情緒豊かで感情的な恋愛表現
自然への賛美
神秘的な想像
などを特徴としています。
ロマン派文学の著名な詩人、
ゲーテ、シラー、ハイネらの詩に感化され、
シューベルトやメンデルスゾーンなど、多くの作曲家が曲を付けました。
ロマン派音楽は、【自己表現】の音楽です。
【他の誰でもない自分自身の内面】
を音楽で表現することに喜びを見出しました。
特にシューマンの歌曲は、
【ロマン派文学の特徴を如実に音楽化したもの】であり、
【ロマン派の本質的な特徴そのもの】と言われています。
それは、シューマンが、
文学と音楽の詩的な融合点に、
【他の誰でもない自分自身の内面】にある
《クララへの愛》を反映し続けたからです。
生涯、《クララへの愛》が、芸術を生み出す源だったのです。
🌼シューマンが愛したクララとは
シューマンが生涯、愛し続けたクララは、どんな女性だったのでしょうか。
クララ・ヴィーク(ドイツ・1819-1896)
ピアニスト・作曲家
音楽教育者でピアノの名教師としても有名だった父、
フリードリヒ・ヴィークに、幼いころからピアノレッスンを受けました。
父のマネージメントによるコンサートに次々と出演し、「天才少女」と脚光を浴びます。
12歳の頃には、ヨーロッパ各地の演奏旅行、
18歳でオーストリアの「王室皇室内楽奏者」の称号を受け、
名ピアニストとしての地位を確立していきました。
🌼あきらめずに勝ち取った愛そして結婚
シューマンは、17歳の時から、
クララの父であるフリードリヒ・ヴィークの下で、住み込みによる
ピアノのレッスンを受けていました。
まだ 8 歳だったクララと、
やがて恋愛関係になり、
シューマン27歳、クララが 18 歳の時に結婚を申し込みますが、
父フリードリヒに大反対されてしまいます。
クララが当時の芸術界で、
将来を期待された新星だったのに対し、
シューマンはまだ無名で、安定した収入も資産もありませんでした。
大切に育ててきた娘が、
音楽家として本格的に活躍していこうという時です。
ロベルトにとってはピアノの生徒のひとりに過ぎないシューマンに、
渡すわけにはいかなかったのです。
シューマンは、フリードリヒからの様々な結婚妨害行為を受け、
この争いは、裁判にまで発展したのちに、
シューマンとクララが勝訴しました。
そして1840年、
シューマン30歳、クララ21歳の時に、
ふたりの想いが実り、結婚することができました。
🌼クララへの愛がエネルギー
シューマンが本格的に、歌曲を作曲し始めたのは、
1840年、クララと結婚した30歳の時からです。
困難を乗り越えて、最愛の人との結婚を果たしたシューマンは、
その喜びが曲にほとばしり、
とめどなくあふれ出てきて、止まりません。
1840年の1年間だけで、
何と、136曲の歌曲を作曲しました。
46年の生涯を通じては、270曲なので、
この年に、全歌曲の半分を作曲したことになります。
クララへの愛が、
とてつもないエネルギーとなって、あふれ出たのです。
シューマンの歌曲は、
《クララへの愛》の深い喜びを素直に表現する
シューマンの心の輝きそのものが、作品の素晴らしさになっています。
どの曲にも、
優しさ・温和さ・純粋さが満ちていて、
穏やかな心地良さに包まれます。
そして、
全般的に短い曲が多いのは、
内面の深い喜びを、凝縮してシンプルに整えて表現することで、
洗練された印象になっています。
🎼歌曲集『ミルテの花』より
歌曲集『ミルテの花』は、
1840年シューマンが30歳の時に作曲した
全26曲からなる歌曲集です。
その第 1 曲目として作曲されたのが『献呈』です。
シューマンは、
この歌曲集『ミルテの花』全26曲を、
ミルテの花束と、《愛する花嫁へ》というメッセージと共に、
結婚式の前日にクララに捧げたのです。
この素敵な贈り物に添えられた「ミルテ」という花(日本名:銀梅花)は、
純白の象徴として、花嫁がブーケや髪飾りに用いる花です。
花言葉は《愛》です。
26曲の中に「ミルテの花」と名付けられた曲がないことから、
歌曲集全てが、《シューマンのクララへの愛》
を表していることを意味しています。
歌曲集のイメージを決定づける第1 曲目として作曲された『献呈』は、
甘美で抒情性に満ちた珠玉の愛の名作です。
🎼歌曲『献呈』歌のレッスン
🎹歌曲『献呈』歌詞&日本語訳
ロマン派詩人、フリードリヒ・リュッケルト(1788-1866)の詩と、
その日本語訳を確認しましょう。
師でもあったクララの父親との確執を乗り越え
クララと結婚できることとなり、
歓喜に湧き上がるシューマン。
シューマンの気持ちそのものが書かれているかのような、
リュッケルトの詩です。
素直に大胆に、愛の気持ちを余すところなく言葉に表現しています。
🎹歌曲『献呈』歌い方
歌詞と日本語訳に添って、歌い方もまとめて確認していきます。
純粋な愛の喜びの詩に、
シューマンはどのような音楽を融合させたのでしょうか。
曲の作りは、
A-B-A’ とシンプルで分かりやすく、
ピアノ伴奏譜と合わせても3ページの短い曲の中で、
心の内面が見事に表現されています。
A、B、A’に分けて、それぞれ確認していきます。
♫ A ♫
Du meine Seele,du mein Herz,
du meine Wonn’, o du mein schmerz,
du meine Wert, in der ich lebe,
meine Himmel du,darein ich schwebe,
o du mein Grab, in das hinab
ich ewig meinen Kummer gab!
あなたは私の魂 私の心
私の無上の喜び 私の痛み
あなたは私の世界 私が生きる場所
ああ あなたは私の墓 そこに
私の悲しみを永遠に葬った
ピアノ伴奏の前奏が、明るい音の分散和音で始まります。
分散和音は、符点音符を使うことで、
至福に浸るシューマンの踊るような気持ちを表しています。
前奏は、たった1小節で、
歌が、喜びを抑えきれないように、すぐ後の2小節目から歌いだします。
歌のメロディーは、
短いスパンで上がったり下がったりし、
嬉しく揺れる気持ちがイキイキと表現されます。
また、音が6度の跳躍で一気に高くなる箇所は
さらに天にも昇るような気持ちを、
そしてその音を伸ばすことで、
心の輝きを強く印象付けています。
歌、ピアノ伴奏ともに、
音の強弱指定はmf(メゾフォルテ:やや強く)で始まり、
そのままmf(メゾフォルテ:やや強く)で演奏します。
※途中、クレッシェンドやデクレッシェンド(音をだんだん大きくしたり小さくしたり)をしながら
このmf(メゾフォルテ:やや強く)は、
優美な美しいメロディーに愛する思いをのせながら、
その思いが確かなものとして、
強く、広く宣言するかのようです。
♫ B ♫
Du bist die Ruh, du bist der Frieden.
du bist vom Himmel mir beschieden.
Daß du mich liebst,macht mich mir wert,
dein Blick hat mich vor mir verklärt ,
Du hebst mich liebend über mich,
mein guter Geist, mein bess’res Ich!
あなたは私の憩い 私の安らぎ
天からの授かりもの
あなたの愛が 私を価値あるものとし
その眼差しは 私を輝かせる
あなたの愛が 私を高める
私の良心 より良き私!
一転して、
歌のメロディーは、音の跳躍がなくなり、長く伸ばす音が増え、
音の強弱指定はp(ピアノ:弱く)になります。
ピアノ伴奏は、軽やかな分散和音はなくなり、
三和音もしくは四和音での3連音符の繰り返しになり、
同じ音や近い音が繰り返されます。
歌もピアノも、落ち着いた印象です。
クララと共に生きていくことに安らぎを感じ、
心穏やかな時間が流れていく様子が感じられます。
ですが、
歌は、ピアノと同じように3連音符にはなっていないので、
歌とピアノの音がピッタリと重ならずに、
少しずつズレて交互に入る箇所が織り交ぜられています。
それが、
今はまだ若いふたりの不安定さや、
これからのふたりの未来への恐れのようなものを表していると感じます。
シューマンとクララの結婚生活は、
これから始まるところです。
不安定さや恐れを克服しながら、
愛は、より深まっていくことを表しているかのようです。
♫ A’ ♫
Du meine Seele,du mein Herz,
du meine Wonn’, o du mein schmerz,
du meine Wert, in der ich lebe,
meine Himmel du,darein ich schwebe,
mein guter Geist, mein bess’res Ich!
あなたは私の魂 私の心
私の無上の喜び 私の痛み
あなたは私の世界 私が生きる場所
私の良心 私のより良き私!
始めの部分 A が繰り返されます。
繰り返すことで、さらに強く印象付けることができます。
音の強弱指定が、
Aでは、mf(メゾフォルテ:やや強く)だったものが、
A’では、f(フォルテ:強く)に、より強められ、そのまま f(フォルテ:強く)で歌い切ります。
繰り返すことに加えて、声も大きく出すことで、
クララへの愛を、臆することなくたっぷりと歌い聴かせます。
♫ ピアノ後奏部分 ♫
歌が終わった後のピアノ後奏に、
シューベルト作曲の『アヴェマリア』のメロディーを繋げて、
曲が終わります。
後奏は、たったの 6 小節ですが、
『アヴェマリア』の宗教的な印象が、ほんの少し加えられただけで、
『献呈』全体が、
《ごく一般的な愛》から《高尚で神聖な愛》の曲へと昇華されています。
クララに捧げる大切な曲の締めくくりに
あまりにも自然に溶け込んでいるシューベルトの『アヴェマリア』。
シューマンの、シューベルトへの崇拝の念があったことがうかがえます。
シューマンは、
ロマン派詩人フリードリヒ・リュッケルトの甘く大胆な愛の詩に、
美しく抒情的な音楽を融合させて、
明るく踊るような【自身の至福】を表現しました。
そして、
シューベルトの『アヴェマリア』を引用することで、
マリア様に【クララへの愛】を誓ったのではないでしょうか。
🎼極上の愛の名作『献呈』を歌いましょう!
クラシック史上、極上の愛の名作、
シューマン作曲のドイツ歌曲『献呈』。
シューマンがクララに捧げた純粋な愛の全てを、
当教室でご一緒に歌ってみませんか。
🎼リスト編曲:ピアノ独奏版『献呈』
心の内面を豊かに表現するロマン派音楽を代表する作曲家、
フランツ・リスト(ハンガリー(オーストリア帝国支配下)1811-1886年)は、
時代の寵児として大変な人気を誇りました。
同じロマン派時代に活躍したシューマンとリストは、1歳違い。
お互いの音楽を尊重し、高め合う良き友人でした。
リストは、編曲を多く手がけていることでも知られていますが、
シューマン作曲のドイツ歌曲『献呈』を、
ピアノ独奏版に編曲しました。(1848年)
リストならではの華麗さや、魅惑的な一面が加わり、
ピアニストに人気の高い曲です。
こちらも是非、お聴きください。
今回のコラムにもお付き合いいただき、
ありがとうございました。
次回のコラム『ちいさな感動おおきな感動』も
よろしくお願いします。
梅谷音楽学院 講師 IKUKO KUBO (^^♪